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第3章 聖なる石と空の十字架




 ひたすら一方的に、白雪たちの午後の予定を決めたハロルドは、止める間もなく先刻の衣裳室のほうへと戻っていってしまった。よほど女装慣れしているのか、ワンピースの裾をものともしない足の速さに、感心するやらあきれるやらだ。
「…………」
「…………」
 覚悟はしていたが、やはりジェフと二人きりにさせられた途端、沈黙が生まれた。
(何から話したらいいんだろう)
 もともと白雪は人見知りな上に他愛ないおしゃべりが苦手という、人間関係の輪を広げるのに致命的に向いていない性格だ。このオライオン号に拾われてからは、初対面・異国人・異性という人見知りをかき立てまくる人々に、けれど陽気に接してもらったお蔭で、そんな性格が強制的に改善された気はしないでもないのだが……。
「――おい、おまえ」
「! はッ、はい!」
 訂正。まだ改善されていなかった。
 ジェフのドスのきいた低い声での呼びかけに、内心ひえええと縮み上がって返事をすると、白雪は急いで彼に向き直った。
 身長差は頭二つ分もあるか。きちんと視線を合わせようとすると首が痛くなるほど高い場所にあるジェフの顔をこわごわ振り仰げば、そこに意外な表情を見つける。ハロルドに白雪の世話を押しつけられて不機嫌なのかと思いきや――
(怒ってるんじゃなくて……困ってる?)
 そんな感じだった。
 彫像のように目鼻立ちがくっきりとしたジェフの顔は、口の端が気まずそうに下がっていて、立派な眉も八の字である。まるで、料理が盛られた皿をひっくり返してしまった直後だ。
「おまえ――白雪、とか言ったよな?」
 ますますドスのきいた低い声に、白雪は再び青ざめる。やっぱり怒ってる?
 白雪は蛇に睨まれたカエルと化して、カクカクとうなずいた。
「は、はい白雪ですが」
「俺が怖いか」
「怖いと言いますか威圧感にびっくりしたと言いますか……」
 うっかり馬鹿正直に答えてしまう。
 慌てて口を押さえても、声になった言葉は取り消せない。
 やってしまった……! と内心自分のうかつさに涙目になりながら、言い訳の言葉を探して目を泳がせ、ふとジェフの姿が視界にないことに気づく。
「――ジェフさん?」
 首をめぐらすと、ジェフはなぜか壁に向かってしゃがみ、どんよりとうなだれていた。
 船酔いという可能性はないだろうけど――もしかして、落ちこんでる?
「ど、どうしたんですか。あ! もしかして病み上がりで気分でも」
「違う。いつものことなんだが、改めてショックをな」
「いつものこと?」
「……俺はこの通り、母国の奴らとは肌の色が違う。それに昔から筋肉がつきやすくて――ハロルドの野郎のむかつく表現を借りれば『立ってるだけで威圧感がムキムキ』な図体で、生まれつき目つきも少し悪いし、普通に喋ってるつもりでも変にドスがきいちまう声っていう四重苦だから、いろいろアレなんだよ」
 地獄の底から響いてくるような声音は恐ろしいが、ともかく怒ってはいないようなので、白雪は彼のそばにドレスの裾をさばいてしゃがみこんだ。
「アレというと」
「普通にしてたつもりなのに、知り合いに『そ、そんなに睨むなよ……』と怯えられたり、歳の近い女子に目が合っただけで『ひぃ!』って悲鳴上げて逃げられたり、街で迷子を見つけたから、笑って慰めようとしたら泣きだされたりするんだよ。この前に寄港した街では、腰の悪そうなばあちゃんの荷物を持ってやろうとしたら、強盗に間違われて危うく牢屋にぶちこまれかけたし」
「…………そ、壮絶、ですね」
 白雪はなんとも言えない顔になってしまった。
 切なくて涙を誘うはずで、笑い事ではないのに(非常に申し訳ないが)噴出したくなる過去を話しながら、ジェフは一人でどんどん肩を落としている。この船で1・2を争うくらい海賊じみた見かけによらず、繊細な神経の持ち主のようだ。
「あれ? でも、ハロルドさんは普通にしてますよね。昔からああなんですか?」
「あいつはほぼ唯一の例外だな。馬鹿だから何も感じてないんだろ」
「馬鹿……ではないと思いますけど」
 あの藍色の髪の青年は、馬鹿というよりは怖いもの知らずで――そして、ジェフの硬派すぎる外見に惑わされずに、繊細な好青年の本質を見抜いているような気がする。男女の性別の差ですら、小さいことだと思っているようだし。
(そう考えると、ハロルドさんって意外と大物なのかも)
 女装好きだけど。
 と内心自分で突っ込んでいると、ジェフが大きなため息をついて膝を伸ばした。
「悪ぃな、初対面なのに変なこと愚痴っちまって。おら行くぞ」
「え」
「なんで鳩が豆鉄砲食らったみたいなツラすんだよ」
「……いえ、ハロルドさんはああ言ってましたけど、ジェフさんにはわたしみたいな下っ端の面倒見なんて迷惑じゃないのかなって」
「俺は一度も迷惑だと言った覚えはねえぞ。他人の世話ははっきり言って苦手だけどな、任されたのを投げ出す気もない。……まあハロルドみたいに器用にとか、親切にはできねえけど、それでもいいなら、ついてこいよ」
 ぎこちなく言い放った青年の、素直ではない親切心の示し方が微笑ましかった。凶暴そうに見えた大型犬が、思いがけず、おとなしく頭を撫でさせてくれたみたいな気分になる。
 白雪はさっきよりもだいぶ肩の力を抜いて、褐色の肌の青年を見上げた。
「ジェフさん」
 つと、白雪は先を行くジェフの袖を引いた。銀灰色の瞳がこちらに向けられる。
 目が合った瞬間、なんとなく微笑んでしまうと、ジェフはだいぶ面喰ったようだ。
「な、なんだよ。にやにやしやがって」
「わたしさっき、ジェフさんの背の高さにびっくりはしましたけど、怖いとは思ってませんでした」
 ぱちくりと瞬き、疑心暗鬼の表情でジェフが立ち止まる。
「そういや、そんなこと言ってたか。――なんで怖くなかったんだ?」
「瞳が、いい人そうだったから」
 確かに目つきは悪いが、アレク船長で慣らされていたし。ジェフの銀灰色の瞳は、アレクと違って純粋な光を宿している。……あの船長は実にひねくれているから。
「海賊に『いい人』って失礼なのかもしれませんけど、でも悪い人には見えなかったのは事実です。だから、わたしはジェフさんが好きです。ハロルドさんもきっとそうだと思うし。なので――ええと……いつかまた誤解されても、あまり落ちこまないでほしいな、って」
 と、首をかしげる。
 自分の言ったことを反芻するに、どうも、うまい言葉を選べた気がしない。
(西方の言葉ってやっぱり難しいな……)
(もっと上手に慰めたいのに)
 まだ伝えたい気持ちは全部声にしていなかったのだが、ジェフの表情に異変が起こっていることに気づき、白雪は物思いから立ち返る。
(ん? どうしたんだろう)
(わたし、失礼なことは言ってないつもりだったのに……あれ?)
 白雪を凝視したまま、まなじりが吊り上がっているし口元はへの字だし、眉間にものすごい皺が寄っていて、なにやら苦悶している様子だ。心配になり、背伸びしてジェフをさらにまっすぐに見つめれば、彼はまつげを火であぶられでもしたように急に目をそらした。
「…………男だろ?」
「は?」
「おまえ男だろ? 男なんだよな!?」
「はッ、はい! わたしは男です!」
 いきなりのすごい剣幕に、白雪はまたしても完全にびびって即答する。
 白雪にそう言わせて、やっと安心したとでも言うように、ジェフはどっと肩の力を抜いた。
「……そうだろ、そうだよな。くっそ、心臓に悪い」
「心臓が悪いんですか? そんなに身体を鍛えてるのに」
「違うわ! そっちの心臓じゃなくて――あーもういい。なんでもねえ」
「気になるんですが」
「なんでもねえっつてんだろ!! いいから行くぞ!」
 威嚇するみたいに、ジェフが狭い通路が揺れるような大声を張り上げる。
 反射的に肩がびくつきはするものの、そろそろ彼という人間に慣れはじめていた。
 こっそり観察すると、ジェフの褐色の頬がほんのり赤く染まっているのがわかる。
 ――照れてるのかな?
(アレク船長よりは、純粋で、ずっとわかりやすい人みたい)
(歳が近いせいもあるのかな)
 14歳の少年だと偽ってはいるが、白雪は実は17歳だ。ジェフとはおそらく1つ2つしか違わないだろう。幼なじみというものがいたら、こんな感じだっただろうか? 埒もない想像をしながら、ほのぼのした気分で、白雪はジェフの広い背中を追った。
 この時点では、ジェフの内心の嵐に、まるで気づいていなかった。



 食堂兼用休憩室には、そこそこの人数が集まっていた。
 白雪は、クリス先生と一緒にいるときと同じくらいとまでは言わないが、ほんのり癒される心地で、ジェフの向かいの席に腰を下ろす。
 海賊の「仕事」が成功したお祝いで、特別にお茶やお菓子がふるまわれているのだ。
 お酒はビール。ビールが駄目なら、香り高い紅茶。お菓子はふんわりとした生地にイチゴジャムを挟んだシンプルなケーキ。――お酒には目がない海賊たちだが、こうした小さな女の子が好きそうな焼き菓子にもうれしそうに目元をなごませている。幹部クラス以外は、普段は質素な献立がほとんどだからだろう。
「おいしい……」
 イチゴの赤が可愛らしいケーキに、白雪も軽く瞳を輝かせる。
 視線を感じ、なにげなく顔を上げると、ジェフと思いっきり目が合った。
 顔に何かついてたかな? と思ったら、すぐにぷいと目をそらされる。首をかしげつつも、再びケーキにうっとりしていると、また視線が突き刺さってきた。バレないように視界の隅で様子をうかがうと、やはりジェフはこちらを観察している様子だ。
(目つきは怖いけど、怒ってる雰囲気じゃないし……)
(……視線はものすごく気になるけど)
 居心地が悪い。
 しばらく妙に不自然な感じに白雪を眺めていたジェフだが、やがて疲れたように嘆息した。
「――にしても、なんでそんなにハマッてんだ」
「? 何がですか」
「女装だよ。ドレス。違和感なさすぎだろ。……お蔭で俺は何がなんだか」
 白雪の身体に一瞬びしりと緊張が走ったが、「実は女じゃないのか」との疑念を持たれたわけではないようだ。
 なぜだかやけに遠い目をしたジェフは、薄いビールで唇を示しながら続ける。
「おまえ、アレク船長の所有物でよかったな。じゃなきゃ今頃大変だったぜ」
「? 今も普通に大変な気はしてるんですけど……」
 白雪は目をぱちくりさせた。
 ――所有物という表現にも引っかかるものは感じるが、事実、海賊の掟ではそうらしいので反論の余地はない。海で発見したものは、基本的に、発見した人間のものとされる。アレクに拾われた白雪がまさにそれなのだ。
 が、ジェフには盛大にため息をつかれてしまう。 「『大変』の意味が違うわ。どうせおまえは肉体労働が『大変』って言ってるんだろうけど、俺は……その――他の連中に色目を使われるとかっていう心配をだな」
「いろめ?」
 初めて聞いた西方の単語に首をかしげ。
「………………迫られるって意味だよ」
 度肝を抜かれた。
「迫られるって、そんなまさか。わたしは男ですよ?」
「まさかじゃねえって。男ばっかで暮らしてると、おまえみたいに色白で細っこいのが女みたく見えてくるんだよ。今日は通過儀礼だからハロルドの野郎の悪趣味に付き合うのは仕方ねえけど、今後はもっと男らしくしてろよ。……つうかしてくれ、頼むから」
 ――女みたいに見える、と言われましても。
 女ですから。
 と言いたいところだが言えるわけがないので、彼の話を黙って拝聴していると。
「わかったな? 返事は!」
「は、はい! 努力します」
 ドスのきいた一喝にうなずいたとき、白雪はふとジェフの腕まくりしたシャツから伸びる、綺麗に筋肉のついた褐色の腕に目を引かれた。
 ジェフはずば抜けた上背だが、決してただ縦にひょろ長いだけには見えない。船乗り暮らしで自然と身についたのだろう、強靭な筋肉の層が、シャツに隠されている部分にもまんべんなくついているからだ。
 男らしい身体つきは、白雪に憧れとある種の羨望を抱かせた。
 もしもわたしが本当に男だったら、こんな強靭な肉体に生まれたかったなと思う。
「ジェフさんはいいな」
「ああ?」
「絶対に性別を疑われたりしないでしょう? 筋肉が理想的についていて、強そうで――かっこいいです。……羨ましい」
 憧れを隠さずに言うと、ジェフの顔がまた固まった。
 ビールの入ったブラックジャックと呼ばれる革で覆われた鉄製のコップが、彼の手をすり抜けてテーブルに落ちて跳ね、床に転げる。が、割れはしない。頑丈さが取り柄の、船乗り専用と言ってもいいコップだからだ。
 ――ぎこちない沈黙。
 ジェフは大きな手で額を抱えると、盛大なため息をついた。
「……おまえ、どうしてそういう……わざとか? わざとなのか?」
「え?」
「やめろ。こっち見んな。……なんでそんなに目が大きいんだよ、っとに」
 頭を抱えたまま、ぶつぶつと何かつぶやいている。相当重症らしい。
 そういえば、耳が赤い。熱でもあるのだろうか?
「大丈夫ですか? 具合が悪いのなら、クリス先生のところに――」
「ッ、ぅおおおお!? 音もなく接近してくんなよ!」
「あ、すみません。癖で」
「どんな癖だよ!」
 素早く移動してジェフの傍らに立っていた白雪は、ええと、と言葉に迷う。
 忍びの一族に生まれたから、動作するのに音を立てない癖がついているのだが、西方の言葉でさらりと説明できる自信がない。とりあえず茶をにごした。
「それよりジェフさん、やっぱり顔が変に赤いですよ。風邪をぶり返したんじゃ」
「か――風邪じゃねえよ。これはただ」
「ただ?」
 白雪の疑問のまなざしを受けて、ジェフが「ただ……」と言ったきり、口ごもる。
 純粋に心配で、白雪はじっと銀灰色の目を見つめるが、ジェフはなんだか凄まじく居心地が悪そうだ。白雪には言えない理由でもあるのだろうか? と首をかしげて想像していたとき。

「――おやー。いいムード?」

 急に響いた声に顔を上げれば、白雪のすぐ後ろにハロルドが来ていた。もちろん女装で。
 白雪が口を開くより早く、ジェフが、かっとなって吠えた。屈辱のためか、頬が赤い。
「ちげえよ! 誰がこんな女男と!」
「本当に違うなら、そんな慌てなくってもー。顔赤いし。あやしい」
「ッ……馬鹿! おまえみたいな変態と一緒にすんじゃねー!」
「おれは変態じゃなくって、美しいものはなんでも好きな人なのー。ジェフよりよっぽど健全だと思うけどなー」
「黙れ歩く不健全な趣味!」
「その歩く不健全と幼なじみっていう自分の人生を振り返りたまえよー」
 こたえた様子もなく、まるで舞いでも舞うような仕草でジェフの腕をかわしたハロルドが、白雪の隣にすとんと腰を下ろす。
 女男というジェフの(悪気はないのだろうが)わりと衝撃的な言いように、ひそかに軽くめげている白雪の肩を、ハロルドはぽんと叩いた。
 振り返ると、おもむろに、綺麗にたたんだ衣裳を一式渡される。
「はい、これ。君のお仕事ー」
「え? ――今度は男物ですか?」
「そう。といっても、君が着るものじゃないけどね」
 それはすぐにわかった。袖の長さや肩幅は、大人の男性のためのもの。
 しかも、凝った刺繍や装飾に手間と金がかかっていることがひと目でわかる衣裳だ。
(もしかして――)
 はたと濃紫色の瞳を上げた白雪に、ハロルドは「その通り」とうなずいた。
「アレク船長のための、新しい衣裳。届けて、取引が始まる前に、オライオン号の船長らしくおめかしさせてあげて?」


2010.05.01. up.

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