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第3章 聖なる石と空の十字架




 朝食が終わると、今日一番の大仕事――ハンモックの洗濯だ。
 船員の数だけあるハンモックを洗うのは、手の空いている者が総出でとりかかっても大変な作業だ。海水を混ぜた雨水で洗うせいで、石鹸がなかなか泡立ちにくいし、干す場所をこしらえるために甲板のあちこちを駆け回るはめになる。
 天気がいいので、作業中に服が濡れてもすぐに乾くのはありがたいが。
「おーこれが新入りか! ちっせえなあ、童話の小人族かと思ったぜ!」
「歳は? なに十四? 俺が十四の頃はもっとなあ――」
「東方人だってな? 東方は、建物がみぃんな黄金でできてるってな本当か?」
 海賊たちは、新顔の白雪に興味しんしんだ。
 ただでさえめずらしい東方人。
 しかも、他国との交易があまりない島国出身。
 漂流していたのを拾われたという経緯も、記憶喪失というのも劇的でよろしい、ということらしい。
 最初は遠巻きにされていたのだが、勇気ある一人が白雪に直接話しかけたのを皮切りに、一気にわらわらと集まってきた。要するに新種の珍獣扱いなのだが、知らない人にこんなに囲まれたことのない白雪は、うっかり眩暈がしそうになる。
 ――が、雰囲気が温かいことには、胸を撫で下ろした。
 ちょっと人見知りをするが噛みついたりはしない子供、あるいは退屈をまぎらわせてくれる新しいおもちゃとして歓迎されているらしい。
 特にヴィンスがそんな感じだ。
 朝の餌づけみたいな行為もそうだし――
「大丈夫? 髪がほどけてるよ、じっとしていて」
「ッ! あ、ありがとうございます……」
 機会があれば、頭を撫ぜたり、髪や服の乱れを整えたりしてくれるのもそうだ。
 最初はどぎまぎしっぱなしだったが、「わたしは小動物」と念じることで、幾分緊張がやわらぐことを学んだ白雪である。
(でも……本当にこの人たち、海賊なのかな)
 ヴィンスやフィロのような例外を除けば、船員たちの人相は、小さな子供が泡噴いて倒れそうなほど凶悪だ。が、話してみれば、みんなすこぶる気さくだ。からっと晴れた空を思わせる陽気な笑顔や、愛らしい妖精たちをまじえて和気あいあいと戯れている姿を見ていると、どうしても首を傾げてしまう。



「よーう坊主。元気にやってっかー? 俺は船匠長[カーペンター]のギルバートだ」
「かーぺんたー?」
「簡単に言うと、船の壊れたところを直す係だ。覚えたな? 覚えろよー? 覚えたら、ご褒美に木彫りのアヒル作ってやっからよー」
「は、はい。でもあの、アヒル……?」
「風呂に浮かべるに決まってんだろー。かーわいいぞー?」
 単調な仕事のあいまに、かわるがわる自己紹介されては、いろいろな話題を振られる。
 もっともよく聞かれたのは、もちろん白雪自身のことだ。
「クリス先生に聞いたんだけど、おまえさん、お姫様に仕えてるんだってなー? そのお姫様って一体どんな姫様なんだー? 別嬪さんか」
「可愛らしい方ですよ。流れ落ちる黒蜜を思わせるまっすぐな長い髪で、瞳は淡い桜色。とても小柄で、色白で、華奢で」
「おおー! そいつはすばらしい! 性格はどうだ、やっぱ可愛いとわがままかー?」
「いいえ、そんなことはないですよ。姫さまは高貴な方らしく分け隔てがなくて、おっとりとした話し方をが可愛らしくて――わたしはお仕えしていて、毎日楽しかったです。意外とやんちゃな悪戯をされることもありますが、内気すぎないところが逆に魅力的でした」
「おおおおおおお! いいねえ最高だなー! で、何歳なんだー?」
「今は12歳。今年の末で、13歳になられます」
「……ぬぉおおおおおお……」
 船匠長を筆頭に、男たちのテンションがいきなり急落した。
 いくら可愛い姫君でも、それはさすがに守備範囲外だわー! ってか守備範囲だったら犯罪だよ! せめてあと5年だよな! でもこの坊や(白雪のことだ)が14なら、お似合いなんじゃね? と、おしゃべりな海賊たちが、盛り上がってるのか盛り下がってるのか理解しかねるノリで騒ぐ。
 こうなると、白雪は口を挟む余地もない。
 お酒でも入っているのかな? と思ってしまうほど陽気だが――
「いつもこう」
 ――と、フィロがぼそりと教えてくれた。
「新入り。これが最後の一枚」
「あ、はい。わたし干してきます!」
「落としたら、つねる」
「え……」
 妙な脅し文句とともにフィロから渡された布の塊を抱えて、白雪は船尾に駆けた。
 途中でときどき、暇を持て余したバージル副長の「かわいーぜよー!」+抱きつき攻撃が入るのを除けば、洗濯は順調に終わった。
 バージルの「老若男女、生物・無生物問わず可愛いものが好き」という主張は本物――というか筋金入りのようで、可愛いどころか目が合ったら土下座したくなるようにしか見えないコワモテの船員にさえ「かわいーぜよー!」と叫んでは体当たりしている。船員たちは「いつものことだ」という顔で平然と受け流していて、ある意味あっぱれだった。
「……あの……本当に可愛いと思ってるんですか?」
 と訊いてみたら、
「もちろんだぜよ!」
 一点の曇りもない目で即答されてしまって、二の句が告げなくなった。
 挙句の果てには、その後バージルがアレクにまで「かわいーぜよー!」攻撃をしているのを目撃した白雪は、副長はいい人だがわたしとはかけ離れた感性の持ち主なのだな、と結論せざるを得なかった。
「新入り〜ちゃんとやってるか〜」
「海に落っこちんじゃねえぞ!」
 たくましい上半身に、火を吐く怪物や鎖の模様の刺青を入れた男たちに、すれ違いざま、頭や肩をこづかれる。
 洗濯物用に張られたロープに、重くて大きい布を広げて引っかけるのは、小柄な白雪には難儀だ。濡れた布のせいで自分まで濡れながら、張られたロープまでぴょんぴょんと跳ねるのを頑張って干して、ひと息ついたとき――
 ――風にゆれる何枚もの布の向こうに、ありえないものを見た。
 海賊風の服ではないものを着た人間。
 確か「スカート」とかいう、花びらのようにひらひらとした、異国の女服を着ている人。
(え――?)
 女の人? と思い、いやそんなまさか、と理性が否定する。
 今朝アレクから、女はニワトリなどの家畜しかいないと、改めて念押しされたはずだ。
(でも、見間違いだなんて思えない――)
 干されたハンモックと索具をくぐり抜けて、花色のスカートが消えた物蔭へと向かうが。
「よう、ちびすけ! ネズミでもいたか?」
「……!!」
 突然、背後から誰かに引き止められた。
 大きな手でガシッと肩を握られるのは、今日だけで何度目だという感じだが、やはり慣れない。毎回、心臓が口から飛び出しそうになる。
(骨格でバレたりしないといいんだけど……)
 今度は誰だろう――とどきどきながら振り返ると、予想通り、そこには新しい顔があった。

 ぎくりとするほど兇悪な面構えの男だ。
 歳はたぶん三十には届かないくらい。
 燃える様な赤い髪を、野放図に背まで垂らしているのが、獅子のたてがみを連想させる。
 額から左頬にかけてを斜めに走る三本の傷痕のせいで、近寄りがたい印象がこれでもかというほど強調されているものの、顔立ちそのものは決してマズくない。野生的で素敵、と思う女性もそれなりにいるだろう。
 顔の傷痕は左のまぶたをも容赦なく駆け抜けているが、幸いにも、眼球は無事だ。金色の双眸はどちらも強い光を放っている。
 黒いシャツの前は豪快にはだけられ、顔のそれよりもさらに派手な刀傷の痕が見えた。

(あ……さっき、副長にかわいーぜよで抱きつかれてた人!)
 思い出す。
 バージルより年上に見えるし、彼より優にひと回りは体格で勝る巨漢なのに、どこが可愛いんだろうと本気で悩んだので記憶に残っていた。今こうして間近に見ても、可愛い部分が微塵も見当たらない。
「いえ、ネズミじゃないんですけど……」
 女の人が。
 と言ってみようか、でもまだ名乗ってもいないし、と迷って言葉を途切れさせると。
「いいってことよ、ネズミはケット=シーの奴らが退治してくれっからな!」
(まだ返事してないのに、勝手に話が……!)
「それよか、もう洗濯は終わったんだろ? ちびすけ」
 ずずいと迫力のある顔を近づけられ、白雪は思わず、ひっと息をのんだ。気分は猫ににらまれたネズミだ。実際、体格差もそれに近いものがある。
「え、ええまあ」
「よっしゃ! だったら話は早い、来な!」
「え――わあ!?」
 なんの話ですかと突っ込む間もなく、白雪は男のたくましい肩に軽々とかつがれていた。
 男はそのまま米俵でも運ぶみたいに、舷側通路をずんずん進んでいってしまう。
 白雪ははたと我に返り、男の背中を叩いて訴えた。
「あ、あの――ひとりで歩けますから」
「こっちのほうが早ぇだろ! にしても細ッせえなぁちびすけ。ちゃんと食ってんのかぁ?」
「……ッ……!!」
 ぺし! とおしりを叩かれて、白雪は声にならない悲鳴を上げる。
 女かもしれない、と疑われていない様子なのは(女心としては少し複雑だが)まあよいのだが――この手の、男同士の気安いスキンシップには参る。下心がないとわかっていても、もうお嫁に行けない……と、ときどきぼやきたくなるほどだ。
(でも……この方、誰なんだろう?)
 他の船員と違って、赤髪の男のほうから名乗ってくれそうな気配はない。
 かといって、今さら、白雪のほうから名乗って訊ねるのもためらわれた。男は「俺のことを知らねえはずはないよなァ?」と言わんばかりの雰囲気をかもして、話を続けているので。
「ところで、ちびすけ。おまえさん、アレク船長の目は見たか?」
「え?」
「目だよ、目」
「そりゃあ見ましたけど……」
「違う違う、あの宝石みてえな青い目のほうじゃねえよ。眼帯で隠れてるほうだよ」
「……左目は、見えないんじゃないんですか?」
 今朝のことを思い出す。
 素顔は見られたくないというそぶりを見せたアレク。
 眼帯で隠された顔の左半面には、てっきり酷い傷でも負っているのかと思ったのだが。
「ほとんどの連中はそう思ってるみてぇだが、俺のカンによると違う」
「カン……ですか?」
「あ? にゃろう、信じてねえな?」
「!」
 またおしりを叩かれた。痛くはないが、どうにも顔が引きつる。
「ちぃっと考えてみな、ちびすけ。左目が傷痕で潰れてるってぇだけなら、女には見せられねえかもしれねえが、仲間の俺たちには見せたって構わないだろ? 俺たちの間じゃあ、傷痕は勲章の代わりよ? 武勇伝と一緒に見せびらかすのが普通だってのに、」
「じゃあ……本当は、見えると?」
「かどうかは、知んねぇけどよ。少なくとも、普通に傷で潰れてるってわけじゃなさそうだぁな、あの左目は」
「…………」
「中には、船長の隠された目を見たやつぁ、呪われるっつう話もある。気ぃつけな?」
 気をつけろ、と言いながらも、赤髪の海賊の声はまるでけしかけているように響いた。
 ――おまえさんは、船長の一番近くにいるんだから。
 ――機会があったら、暴いてみないか?
 と。
(見えるのに隠しているのなら……それは、確かに気になるけど)
 悩んでいるうちに、先ほどまで洗濯をしていた場所に戻っていた。
 汚れた水は海に、たらいや[タブ]は船倉へとあらかた片づけられ、船員たちはまったりと休憩時間を楽しんでいた。木でできたサイコロを振って博打をしている者もいれば、ナイフを巧みに操って置物らしき小物を作っている者もいる。ヴィンスとフィロは、真水をくんだマグを片手に、ケット=シーもまじえて雑談に興じていた。
 ようやく肩から白雪を下ろすと、赤髪の男は恫喝するみたいに言った。
「ようし、ちびすけ! もうじき昼飯だが、その前にひと仕事やる気はあるかぁ!」
「はい! なんですか?」
「いい返事だ! 仕事はな、アレク船長への届けものだ」
「わかりました! あ――でも、船長って今どこにいるんですか?」
「あそこだ」
 にやりと笑って、赤髪の海賊が指さしたのは、はるか頭上――
 否。
 メインマストの高みに取りつけられた、箱のようなものだ。
「あそこ……ですか?」
「おうよ、見張り台だ。あそこまで登ってもらうぜ」
 ちらりと周囲を見やると、目が合った船員は「ま、がんばれ」という顔で笑ったり、はげますように拳を握ってみせたりしてくる。
「俺っちは、登れるけど降りられないに3枚」「おれは登りきれないに2枚じゃ」などと、ぼそぼそ会話している男たちもいる。本人たちは内緒話のつもりらしいが、忍びとして鍛えられた白雪の耳にはまる聞こえだ。
 ――どうやら、わたしは試されているらしいと、白雪は理解した。



2009.12.28. up.

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