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第2章 海賊船にようこそ!




「フィローズ・マリク・ビン=ハイレディン。みんなはフィロって呼んでるぜよ」
「…………」
 まるで呪文のような名前の少年が、無言で、軽く頭を下げる。
 白雪も慌てて礼を返した。
 実はちょっと、フィロの容貌に見惚れていたのだ。
 アレクやバージルは見慣れているのか、同性だからか、特に反応はしていないが。
(綺麗な子だな)

 長いというより濃いまつげの落とす蔭が、妖艶ともいえる美少年だ。
 背は白雪より頭半分高いか、という程度で、船乗りにしては身体つきも細い。なのに、弱々しい印象がまるでないのは、白雪が見たこともない――紅玉石の色をした瞳に、こちらの視線を手前で跳ね返すような不思議と強い光があるからだ。敵意というのではないが、気安く話しかけるなと、声に出さずに言われている気がする。
 バージルの茶色がかったそれとは違って、鴉の濡れ羽色とでもいうべき漆黒の髪をうなじで束ね、緋色のスカーフの上に、金色の鎖や色とりどりのガラス玉を組み合わせた飾りをつけているのが、美貌に華をそえている。

 西方では「エキゾチック」と表現される外見なのだが――そのあたりの細かいところを知らない白雪は、やはり「うちの国の衆道の人が見たら、よだれを垂らしそうな美少年だ」などとズレたことを思っていた。
 バージルが、フィロの肩をぽんぽんと気安く叩きながら言う。
「いつもは主計係として黙って俺を手伝ってくれてるけど、戦闘のときは、そりゃあおっかない砲術長になるんだぜよ。ま、それを見るのは、いつかのお楽しみだけどな」
 砲術長[ガン・キャプテン]? と訊ねる前に、フィロが、白雪の目の前に何かを突き出してきた。
「これ」
「え?」
「あんたの」
 突き出されたのは、灰色の布に包まれたものである。慌てて受けとれば、内側で金属がこすれあう音がした気がする。
 中身は見えないが、たぶんバージルの言っていた「新入り用の七つ道具」だろう。
「失くすな」
「――はい」
 フィロの言葉は極端に短い。白雪も、あまり長い言葉を返してはいけないような気分にさせられるほどだ。
 しかしフィロの西方語の発音や、音の流れに、アレクたちとは違ってぎこちなさがあるようにも思った。わたしの話す西方語みたいなぎこちなさだ、と白雪はひそかに感じ、
(あ……もしかして、この人……)
 ログレス王国の出身ではないのでは、と推理する。
 うまく説明できないが、アレクやバージル、クリストファとは、容貌の雰囲気もずいぶんと違う気がした。
「ありがとうございます、フィロ様」
「…………」
 わたしは14歳――フィロより年下という設定だしと、特に丁重に礼を言ったつもりだったが、フィロから返ってきたのはなんとも言えぬ沈黙だった。
 不快ではないが、愉快でもない。
 はっきりと言えば、どう反応すればいいかわからなくて、困る。
 ――そんな雰囲気をひしひしと感じ、白雪もまたなんとも言えぬ居心地の悪さを味わって小さくなっていると、フィロがおもむろに口を開いた。
「様はいらない」
 つっけんどんとは言わないが、愛想のかけらもない、平坦な声だ。
「……いらないのですか?」
「いらない」
「それじゃ……ほうじゅつちょう、と?」
「フィロでいい」
 必要最小限の単語しか紡がないフィロは、無駄口や冗談(それも腹の立つものばかり!)の多いアレクに振り回されていた白雪には、ある意味新鮮だった。
 ――と同時に、ほんの少し懐かしさをも感じさせた。御庭番衆にも、こういう、極端に無口な青年忍者がいたのである。
 その彼を思い出して、なんとなくじっと見上げてしまうと、フィロが軽く眉をひそめた。
 そして、ふいと背を返して去ろうとする。
「フィロ!」
 呼び止めたのはアレクだ。
 扉の手前でフィロがぴたりと立ち止まり、機械的に振り返る。
 紅玉石の双眸はどこまでも無感動だ。船長命令だから仕方なく立ち止まった、と書いてある気さえする。
「何か」
「こいつ、白雪っていうんだけどな」
 そこで、ぽんと白雪の頭に手を載せて、アレクは続けた。
「俺が拾ったから俺の所有物だし、キャビンボーイにしたんだが、ひととおり船の仕事や仕組みはマスターさせとかないと、いざってときに困る。が、俺もつきっきりってわけには行かねえから、おまえも教育係になってくれないか?」
「……おれが?」
 意外そうにフィロが瞬く。まつげが動く音がしそうだと、白雪は想像する。
 気の進まない様子のフィロを見て、アレクは肩をすくめた。
「別に無理強いはしねえけどな。いやなら――」
「やだ」
 ――西方の言葉に慣れていない白雪でも聞き間違えようのない即答だった。
 きっぱりはっきり、にも程があるフィロの拒絶っぷりに、白雪は不快に思うとかいう次元を通り越して、あっけにとられてしまう。
 その間に、フィロはするりと退室していた。
「というわけでだ」
 微妙な空気をとりなすかのように、バージルが笑顔で白雪の肩を叩く。
「おちびさんは明日の朝からは、フィロとコンビを組んで仕事してこうなー?」
「……今、すごくきっぱりと断られませんでしたか?」
「気にすんな。あいつはいつも、ああだ」
「そうだぜよ」
 アレクが怒りもせずに言えば、バージルも目を糸にした笑顔で同意する。
「びっくりしたかも知れんが、あいつはちょっと口下手で人見知りなだけだぜよ。なあに、俺たち上役が命令だって言えば、逆らうようなことはないから、大丈夫だいじょーぶ」
 ――本当か?
 心配で眉尻を下げっぱなしの白雪をよそに、バージルは至って明るく言う。
「ちなみに今のフィロは、このオライオン号きっての美少年だぜよ。嬉しかろ?」
「喜ぶべきなんでしょうか」
 白雪としては、顔は美しいが死ぬほど無愛想な相手より、顔は並でもなごやかに仕事のできる相手のほうが、はるかに平和でよいのだが。
「むさ苦しいおっさんと仕事するよりは、ずっとよかろ?」
「……それは……まあ」
「しかしこれで、今後オライオン号のナンバーワン美少年の座は、3人で争われることになるのだな。争いの時代の幕開けだぜよ」
「3人?」
「おちびさんが入ったから、フィロもうかうかしちゃいられないってことさ」
 どうやらバージルは、この状況をおもしろがることに決めたようだ。というより、どんな状況でも楽しんでしまう性格なのかもしれない。
(しかし……わたしは、西方の基準だと『美少年』になるのか)
 それなりに興味深いが、うれしくはなかった。
 もう1人の美少年とやらが誰なのかも気にはなるが、目下の心配はやはりフィロだ。
 うまく付き合えるだろうか。

 ――『人心を自在に操ること。それは忍者の基本技術だ』

 人の心を、人間関係を自在に操ることで、敵を裏切らせて情報を得たり、動揺させて隙をつく。卑怯と言うなかれ。恥じることなかれ。どんなに強い人間でも、勝負に絶対はない。勝てる可能性を増やすために、「影の側」からあらゆる手を尽くすのが、忍びの者の戦い方よ。
 それが、父・冬厳の基本的な教えだったが――
 顎に手をあてて考える。
(少なくとも……あのフィロという人は、自分が美少年だということを意識したり、鼻にかけたりしてる感じはなかったな。うぬぼれ屋じゃなくて、仕事人っぽいというか。それなら忍者みたいなものだし、ある意味お付き合いはしやすいかな……?)
 自分自身をはげますように、うなずく。
(……それに、あれくらいそっけないほうが、女だとバレにくくていいのかもしれない)
 不安要素だらけだが、白雪はとにかく前向きにとらえることにした。
 そうでなければ、きっと、やっていけない。



「30点」
 廊下で二人きりになると同時に、アレクがぼそりと言った。
「さんじゅってん?」
「おまえの男のフリだよ。30点。不合格だ。――ああいう顔をするな」
「って、どういう顔のことですか」
「故郷が遠いってわかったとき、寂しそうなツラしてたろ? あんな顔してると、お嬢ちゃんにしか見えねえぞ。バージルの野郎は鈍感だから気づかずにいてくれたが、いつもそうはいかないからな」
「……わたし、そんなに寂しそうでしたか?」
 白雪ははっとして頬に手をあて、アレクがうなずくのを見て、思わずうつむいた。
 失敗した、と反省もしたし――
 無性に恥ずかしくもあった。
 巫女姫の護り手を務めていたときは、朧姫[おぼろひめ]を不安にさせないために、そんな表情は決して他人に見せなかったのに。ここに来てからだって、四生嶋[しきしま]に帰る日まで、がんばろうと決めたのに。
 ……情けない。
「ま、心細いのはわかるけどな」
 ぽん、と白雪の頭に何かがのった。
 アレクの手だ。
 ちょっと驚いて見上げれば、金髪の海賊が笑っている。
 からかうような笑い方とは違う。
 まるで子供みたいに、邪気や下心とは無縁な――見ていてたいそう気持ちのいい、安心させる笑顔だった。
「あんまり不安にばっか捕らわれてんじゃねえよ。俺は海賊だが、約束は守る」
 わしわしと無造作に頭を撫でられるまま、白雪は意外な想いでアレクを見つめていた。
 初めて、この男が船長らしく思えたのだ。
「じゃ、俺はちょっとやることがあるから、今日は医務室でクリス先生の手伝いでもさせてもらいな。七つ道具のことも、クリス先生ならもういいっつうくらい丁寧に教えてくれるから。わかったな?」
「あ――は、はい」
 ぼうっとしていたので、慌ててうなずく。
 するとアレクは、また意地悪そうな笑顔になって白雪の瞳をのぞきこみ。
「どうした。俺と離れるのが寂しいか?」
「な」
「ちょっと我慢しろよ。今晩は添い寝してやってもいいから」
「いりません!」
 せっかく見直しかけたのに――どうしてこの人は、すぐに台無しにするんだ!
 白雪はアレクの手を振り払うと、ぷんぷんしながら上の甲板への[きざはし]に向かおうとして――
「おい白雪」
「なんですか!?」
「そっちは船首だ。医務室は逆方向だぞ?」
「〜〜〜〜ッ!!」
 きびすを返して、にやにや笑いのアレクの前を突っ切る白雪の顔は真っ赤だった。
 ――最悪だ!



2009.10.17. up.

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