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第2章 海賊船にようこそ!




 一等航海士とは、オライオン号において――
「この俺の次に偉いやつだ。みんなには『バージル副長』と呼ばせてる。この船がどこに、どのくらいの期間かけて行くのか計画を立てたら、航海が安全で効率的に進むように、物資の使い方や航路を計算して、何もかもを仕切ってくれる。船位[ポジション]、つまり船の位置を常に把握するのも、やつの仕事のうちだ」
 ――という存在らしい。
 そして、アレクはこう付け加えた。
「なんにも考えてねえようなツラしてるけどな。こう見えて、実はかなり頭がいいぞ。釣りの才能だけはないがな」
「おいおい船長さん。本人を前にして、その紹介はひどいぜよ」
 苦笑いでつっこんだのは、目を糸にした笑顔が印象的な男――たった今紹介されたばかりの、一等航海士のバージルだ。
(副長にしては、この人もかなり若いな……。船長とそんなに大差なさそうだ)

 散切りの髪は黒。
 人なつっこそうな瞳は、金色がかった緑。
 白木綿[キャラコ]のシャツに膝がすり切れたズボンという粗末な身なりだが、姿勢がよいので、不思議とみすぼらしく見えない。偉そうではないが堂々としていて、頼りがいのある雰囲気を全身からさりげなく発している男性だ。
 アレクの相手を圧倒する華やかさとは好対照だが、男性的な魅力という意味では決して見劣りしないし――
 ――とても、さっきしびれ毒を持つ巨大クラゲを釣り上げて甲板を大混乱にさせ「まともに食えるものは釣れねーのかよ!」「早く海に帰してきなさい!」とアレクと船医のクリストファに死ぬほど怒られていた、困った釣り好き男と同じ人間には思えなかった。

(でも、この人が船長って言われたほうが、まだ納得できるかな)
 押しつけがましくない包容力を感じる。初対面の「異国人の少年」――白雪にも、まるで親戚の子を相手するみたいにやさしい。この幹部用の食堂兼作戦室に来るまでにすれ違ってきた乗組員の誰よりも、反応が好意的だ。
 アレクの傍らから、バージルの個性的な色合いの瞳を見上げていると、ふいに頭をぽふりと撫ぜられた。目が合えば、にっこりと笑われる。
「白雪、だったな? 俺はバージル。もう覚えたかな?」
「あ、はい、覚えました。その――よろしく、お願いします」
 内心かなりどぎまぎしながら、白雪がしゃちほこばって頭を下げれば、バージルはますます笑みを深くする。
「ははは、そこまで堅くなるこたないぜよ。ここは海賊船だけど、いたいけな子供をいじめるような外道はおらんし、無茶な仕事をさせたりはしないから、もう少しリラックスしちまってもいいぜよ? あんま思いつめすぎると、身がもたんしな」
「……はい」
 バージルはそこで軽く膝をかがめて、小柄な白雪と、視線の高さを合わせた。
「いとしい姫さんに再会するまで、アレク船長のキャビンボーイとして働くんだよな? がんばれよ。アレクにいじめられたら、俺にすぐ言いにおいで。おちびさんの代わりに、あいつを叱ってやるぜよ」
 名前ではなく「おちびさん」なる呼び方で固定されてしまいそうなのは複雑だったが、味方になってくれる言葉がうれしくて、白雪は、ほっと表情をやわらげた。
「はい。ありがとうございます、バージル副長」

 そう言った途端だった。

「――かわいーぜよぉおおおおお!!」
「ぎゅ!?」
 たまらーん! と言わんばかりに絶叫したバージルに、力いっぱい抱きつかれたのは。
 まるで仔犬を可愛がるみたいに頬ずりをされ頭を撫でられまくった白雪は、もうびっくりして、猫が踏まれちゃったみたいな変な声が出た。アレクの乱暴な口づけとは違った意味で、はげしく身の危険を感じる。
(な、何事!? なんなんだこの人は――ッ!)
 内心絶叫する。
 だがバージルは、強烈な抱きつき攻撃と頬ずりの嵐から開放してくれそうにない。
「かわいい! たまらん、たまらんな! いやもうアレクのキャビンボーイなんてやめて、俺の下で働かない? おちびさんってばケット=シーの子供みたいにかわいいぜよー! うりゃあッかいぐりかいぐりー!!」
 人が変わったみたいに高い声で連呼するバージルに、圧倒される。
 ぎゅうぎゅうと潰されそうな力で抱きしめられるのが苦しいのと、こんなに密着されたら実は女だと気づかれてしまうんじゃないかという焦りで白雪が蒼ざめていると、横からすごい勢いで救いの手が入った。
「いいかげんにしろ、この変態!」
「んご」
 アレクだった。興奮状態のバージルの後頭部に、思いっきり手刀を叩きこんでいる。
 バージルがつんのめった隙に、白雪はやっとその腕の中から逃れられた。今回ばかりはアレクに感謝した。
「あ、ありがとうございます」
 と、いきなり、アレクにぐいと腕をつかんで引き寄せられた。
 今度はなんだと思って、怪訝そうにアレクの顔を見上げれば、
「じっとしてろ」
 と、バージルの猫っ可愛がり攻撃のせいで外れたスカーフを、手早く巻き直される。
(……言ってくれたら、自分でできたのに)
 と思わないでもなかったが、バージルの豹変っぷりに腰を抜かした直後だったので、なにげないアレクの気遣いには、不本意ながらも、ほっとさせられてしまった。さっきはこの金髪の海賊のほうが、よほどアレでナニだったのに……。
「おい白雪。しっかりしろ」
「む」
 複雑な感情にとらわれていたら、いきなり鼻をつままれた。
 むっとして視線を上げると、目つきの悪さを全開にしたアレクと視線が重なる。
「言い忘れてたが、今後は気をつけろよ。こいつは普段はアホなんだが、ときどき変態でな」
「へんたい?」
「見境なく人を襲うバカのことだ」
 アレクはうんざりした表情で説明してくれたが――
 それはむしろあなたのことでは? と、白雪が心の底から言ってやりたくなったのは、無理なからぬ話だ。
「――おお、痛かったあ。頭はやめてくれよ船長」
 そこでバージルが、殴られた頭をさすりながら、悪びれない笑顔で言い訳を始めた。
「それに、おちびさんに誤解を植えつけたら困るぜよ、アレク船長。俺は変態じゃなくて、老若男女生物非生物問わず、可愛いものに目がないだけだぜよ。別に少年愛や同性愛の趣味もないし、そう、言うなれば博愛主義だぜよ?」
「じゅうぶん変態だろうがよ。こいつは東方人だし、まじめで内気でそういうのは慣れてねえんだから、その悪い癖はやめてやれ」
(内気……?)
 それは、わたしのことか?
 何を勝手に決めつけているんだ? と白雪は思い、抗議の意思をこめてアレクの青い片目を見上げたが、彼からは「そういうことにしておけ」と視線で釘をさされた。内気という設定にしておけば、さすがのバージルも遠慮するということか。
 納得できるような、できないような……と、こっそり首をひねる白雪をよそに、話は進む。
「んなことよりバージル、おまえを呼んだのは、新入りに変態っぷりを見せとくためじゃねえんだよ」
「おや? 違ったのかい」
「たりめーだろ。――こいつに正確な船位を教えてやってくれ。母国からどんだけ離れてんのかがわからねえと、落ち着くもんも落ち着かねえそうだから」
「なるほどね。了解だぜよ、アレク船長」
 理解の笑みで腰を伸ばしたバージルの様子には、先ほどの大暴走の名残りはまったくない。
 やんちゃな船長を補佐する人間らしい落ち着きと、生意気な弟をいなす兄のような余裕さえ感じさせる。大人の男という感じだ。
 だが、それだけに、白雪はバージルをつかみかねた。
(……アレク船長よりは、間違いなくいい人そうだけれど)
 さっきのアレは、本当になんだったんだ……?
 落差が激しすぎて、次に何をするか予想がつかないという意味では、バージルはアレクより手ごわい気さえした。――白雪が、自分のそういう印象が間違っていなかったことを実感するまでには、もう少しかかるのだが。



 食堂兼作戦室の中央は、八角形をした卓で占められている。
 部屋の広さに比べると、大きすぎて、窓との隙間がちょっと窮屈なほどだ。しかも床に固定されていて動かせないという、いろいろと疑問の多い調度品である。
「船の構造上、舵の部品の一部が、ここの床から突き出てしまうんでな。それを隠すために、こんなに大きなテーブルになってるんだぜよ」
 説明してくれたのは、バージル。
 話しながら、羊皮紙に描かれた地図をテーブルの上に広げている。
「シキシマも載ってる東方の地図は――というか、今使ってる地図がこれだぜよ。ほれほれ、もっと近くに寄らないと見えないぞ、おちびさん。おや? そんな警戒しなくっても大丈夫だぜよー。今日はもうかいぐりかいぐりしないって」
 ――「今日は」ってなんだ!?
 白雪は、許されるなら激しくツッコミを入れたい心境だった。
 しかし船の現在位置を一刻も早く知りたい気持ちが勝ったので、白雪はやっぱり身構えながらもバージルの隣に立った。地図をのぞきこみ、つと、眉根をよせる。
「この地図の四生嶋[しきしま]は……あまり、正確ではありませんね」
「そうかい?」
「ええ。こんなまんまるな島じゃないです」
 憮然として、白雪はうなずいた。

 東方の地図の、左半分を使って描かれているのは、大陸を統べる神華国[しんかこく]。それはいい。
 白雪の愛する四生嶋は、神華国の東の海に浮かぶ、小さな島国だが――これがひどい。
 図が適当すぎる。
 実際は縦に長く、まわりにたくさんの小島が浮かんでいるはずなのに、この地図ではただ、○の中に「シキシマ」と描かれているだけだ。そばに書かれている古ぼけた説明文も「このへんにおそらくシキシマ。細かいことはわからん」(要約)という失礼な有様だ。
 四生嶋・本島の位置は間違ってはいないので、航海に支障はないのかもしれないが……。
(もうちょっと、なんとかならなかったのか?)

 思わず不満をあらわにぼやいてしまうと、バージルは「すまんなあ」と眉を八の字にした。
「東方、特に神華国以外の国は、俺たち西方人にとってはまだなじみが薄いんだぜよ。国レベルでの交流も、まだだしな」
「……まあ確かに、わたしたちも、西方の国の形はよく知りませんしね」
「じゃ、おあいこってことで、許してくれるかい」
「もちろんです」
 なにより、地図が正確でないのは、バージルのせいではないのだ。
「それで――この船は、今どこにいるんですか?」
「ここだぜよ」
 とバージルが指差したのは、四生嶋のはるか南の海域だ。白雪が最後にいた十六夜島[いざよいとう]は、本島から船で一日のところにある四生嶋・最南端の嶋だが、そこよりもさらに南に離れている。
(遠い……)
 と、白雪は思った。
 どうしようもない心細さで、血管の中が空っぽになったような感覚をおぼえる。
 白雪はさほど帆船には詳しくないが、それでも、一日二日で四生嶋に戻れるような距離ではないことはわかった。
「俺たちの船――オライオン号は、シキシマからちょっと離れた海域を、ずうっと南下してきたんだ。この線と日付が、俺たちの航跡だぜよ」
 見れば、地図には、バージルの字とおぼしき書きこみがいくつかある。
(姫さまと、御庭番衆[おにわばんしゅう]の皆は、無事に本島に戻れたんだろうか……?)
 祈ることしかできないのが、さびしい。
 黙って地図だけ見つめていると涙ぐんでしまいそうだったから、白雪は少し無理をして、ぽつりと呟いた。
「……遠いんですね」
 そうしたら、自分でも驚くほど気弱な声が出てしまい、急に恥ずかしくなった。
 これでは、親とはぐれた小さな子供ではないか。
 はっとして口元を押さえ、両隣に立つ2人に気づかれないうちに、ごまかすように話題を変える。
「ずっと南に進んでいるようですけど、この船は、どこかを目指しているんですか?」
「ここだぜよ」
 とバージルが若干すまなさそうに指さしたのは、「南洋」に浮かぶ島々のひとつだ。
 白雪はもちろん、行ったことがない。というより、四生嶋から出たことがないのだ。
 島名のアルファベットを負うのに苦心していると、アレクが口を挟んだ。
「王国領オーランド諸島だよ」
「王国領……?」
「ログレス王国の海外領土って意味だ。俺たちはログレスから旅してきてる。オーランド諸島っつうのは、うちの王国が列強諸国との戦いに勝って支配権を獲ったところで、海賊御用達のグラティザンつう港町があるんだよ。補給と休息、それに情報収集にはもってこいの町だ」
「……そうですか」
 白雪はとりあえず、あいづちは打っておいた。いつ母国に帰れるのか検討もつかない、心もとなさに意識の大半が向いている。
 と、後頭部を、アレクに軽くはたかれた。
 はっとして見上げれば、不満げな顔をした彼と目が合う。
「気にねえ返事をしてんじゃねえよ。おまえにも関係がある話なんだぞ」
「え?」
「そのグラティザンには、特別な力をもった占い師がいる。おまえの大事な姫さまが無事かどうかだとか、おまえの記憶が欠けてることとか――俺たちの情報収集のついでに、聞いてみてやるからよ。あんまり、不景気な顔をするな」
「え……それは、本当にですか?」
「んな嘘ついて何になる」
「それはそうですが」
 白雪はまじまじと、アレクの青い片目をのぞきこんでしまった。
 意外だった。
 彼はてっきり白雪を「暇つぶしのおもちゃ」程度にしか思っていないと決めつけていたのに。
 野蛮で凶暴で、口が悪くて。やさしくなんて見えなかったのに。
 ――こんな気の遣い方をされるなんて。
 アレクは白雪から目をそらすと、不機嫌そうに舌打ちした。
「どうせ『あの船』の行方がつかめねえ限り、暇だからな。約束してやるよ。――そんでもってそこの変態は暴走すんじゃねえぞ、いいな、船長命令だぞ!」
「!?」
 白雪がぎくっとして振り返ると、バージルが「命令されてしまったか、残念だぜよ」とぼやきながら、伸ばしかけた両腕を引っこめていた。どうやらまたしても、白雪にかわいいぜよと抱きつき攻撃をする気だったらしい。
「残念だぜよ。おちびさんは本当に可愛いのに」
「……は、はあ」
 名残惜しそうに白雪の頭をぽむぽむと撫でるバージルを、彼女はなんとも言えない気持ちで見上げた。
 アレクとは別の意味で、油断も隙もない人だ。
 悪意だけはないのが、逆に厄介かもしれない。
「あ。そういえば。船長命令で、ちょっと気になってたことを思い出したぜよ」
「何をだよ」
「漂流してたおちびさんを拾ったポイントのことでな――」
 白雪が目線を地図に戻すと、バージルは妙に深刻そうに言う。
「シキシマから、こんな遠くの外洋まで漂流するのは、ちょっと無理っぽいんだぜよ」
「え? でもわたしがいたのは四生嶋ではなくて、十六夜島という、四生嶋の南に浮かぶ小島だったんですけど」
「そのイザヨイトウから、シキシマまでの距離はいくらだぜよ?」
「船で一日です」
「それでもやっぱり距離がありすぎるぜよ。意識がある状態でならともかく、おちびさんは意識を失ったまま漂流してたんだろ?」
「……たぶん、そうだと思います」
「たぶん?」
「実は、記憶があいまいなんです。海に落ちるまでの記憶が」
 朧姫と別れて、身代わりを演じて戦って。そこから先の記憶が、完全に途切れている。
「おちびさんが、姫さまと別れたのは?」
「夜明け前です」
「で、アレク船長がおちびさんを拾ったのが、夜明け直後と」
 ふうむ、とバージルは顎をさすりつつ――
「やっぱり変だぜよ。嵐でもなかったのに、意識のない人間が、そんな短時間でここまで板切れにのって流れてくるのは無理だわ。おちびさんはもしかすると――船に乗ってイザヨイトウを離れてから、その船がどうにかなって、海に落ちてしまったのかもしれんな」
「船に乗った……?」
 白雪は、信じられないという表情になってしまった。
 水軍の船に乗って逃げる朧姫たちと別れて、十六夜島に残ったはずの自分が、船で海に出たとはどうしても思えない。
(何があったんだろう……?)
 白雪は、さらにきつく眉根をよせた。知らず、鼓動が早まっている。
(……わたしは、何を忘れてしまってるんだろう)
「それにさっき甲板に引き揚げられたときのおまえさんは、そんなに肌がふやけてなかったしな。やっぱり長い時間は漂流してないはずだぜよ。アレク船長も、おちびさんに人工呼吸したとき、感じなかったかい? そんなに唇がふやけてないなって」
「――!」
 バージル本人としては特に深い意味のない質問のつもりだったようだが、残りの2人への影響は絶大だった。
 ラム酒の小瓶をもてあそびながら話を聞いていたアレクは、ぽろりとそれを取り落とした。
 白雪は「じんこうこきゅう」という西方語を知らないので、バージルの言葉を完全には理解できていなかったが、それでも動揺していた。
 ――唇、だって?
(なんだろう。よくわからないけど、無性にイヤな予感がする……!)
 隣でアレクが微妙に気まずそうに目をそらしているのも、白雪の不安をあおる。
 2人が妙に固まってしまったのには気づいていないらしく、バージルはなにげない様子で言葉を続けている。
「ん? そういや、そろそろフィロが来てもいい頃だったぜよ。まだかいな」
「フィロ? ああ、主計係のフィロな! フィロがどうした」
「……? 声が上ずってるのはなんでだぜよ船長」
「船長命令だ、気にすんな。それでフィロがなんだって?」
「や、そのおちびさんを船で働かせるっていうから、ここに来る途中、フィロに新入り用の七つ道具を用意してくれって頼んどいたんだぜよ。さて、どうしたのやら――」

「――今、来た」

 突然の声に振り返ると、17歳くらいの少年が、開いた扉のところに影のように立っていた。
 足音はおろか、扉を開ける音すらしなかったことに、白雪はひどく驚いた。



2009.10.13. up.

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