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第1章 漂流少女と異国の海賊(07)




「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 長くぎこちない沈黙のあとで、アレクは額を押さえてうめいた。
「…………いやまあ、そんなこったろうとは思ってたんだが」
 衝撃は、意外とない。
 むしろ「やっぱりな」とさえ思っている。
 さっき人工呼吸で意識を取り戻したときに、この東方人が一瞬だけ見せた繊細な瞳は、少女のものとしか思えなかった。
 濃紫の瞳にうっかり見惚れてしまい、だがクリストファが「男性ですよ」と断言したので、いやいや俺にそんな特殊な嗜好はねえぞ絶対だと、着替えながらラム酒をあおって、ロクでもない考えを追い払ってきたばかりのアレクである。
 それが――
(やっぱり女性でした、だと?)
 アレクは壁に手をつき、肺のなかが空っぽになりそうなほど深いため息をついた。
「……だったらなんで、甲板では『男だ』なんて断言したんだよ、先生。話がややこしくなったじゃねえか」
「女性だとわかったが最後、大騒ぎになると思ったから、ついですね……」
 眼鏡のブリッジを押さえて、クリストファもため息をついた。
「わざと嘘をついたってことか」
「そうなります。処罰ならなんなりと」
「するわけないだろう」
 手段はどうあれ、クリストファがしたのは間違った選択ではない。と思う。
「こいつの服が、男にしか着ることが許されないものだっていうのも嘘だったのか?」
「いえ――まったくの嘘というわけではありませんよ。彼女が着ているのは『本来は』シキシマで神に仕える男性がまとうものです。女性の場合は、確か、下は『ハカマ』という紅いスカートのようなものをはくはずです」
「女が着たら死罪っていうのは」
「そこは嘘です」
「あっさり言うなよ。――で、どうしてあいつは男の格好をしてたんだ?」
「さすがにそこまでは想像がつきませんよ」
「わけありか」
「かもしれません」
 アレクの、もともと輝きの強すぎる青い瞳に、ひときわ鋭い光がよぎった。
 厄介事の予感がひしひしとする。
 ――が、今の時点ではロクな予防策など思いつかない。この漂流者の少女の母国について、知識が少なすぎるからだ。
 もちろん、ここに来るまでに、一等航海士のバージルから、シキシマというのはこの船からどのくらい離れているのか等々、最低限のことを聞いてはきた(ただしバージルも、シキシマの位置やまわりの潮の流れなら地図を見ないでも暗記しているが、お国事情は守備範囲じゃないぜよ、と言い切っていた)。

 シキシマは――アレクたちの故郷のログレス王国と同様――いくつかの島から成り、独自の文化と言語をもつ島国だという。
 しかし外つ国、それも西方諸国とはあまり交易が盛んではなく、海賊船なんぞがいきなり寄港しようものなら攻撃を受けかねないので、バージルもオライオン号を立ち寄らせる気はさらさらなかったのだそうだ。
 ――確かに、ちょっと足を伸ばして、ログレス王国の海外領土・オーランド諸島にある海賊御用達の街にでも寄港したほうが、王国の公用語が使えるし、いろいろと便宜を図りやすい。
 乗組員のなかにもシキシマの狭い大地を踏んだ者はおらず、博覧強記のクリストファにさえ予想がつかないのなら、あとは本人に問いただすしかないが。
 わけありな人間が、海賊なんぞに正直に事情を打ち明けるかどうか……。

「にしても、よくも涼しい顔で俺たちをだましたもんだな、あんたも」
「こう見えてもギリギリの精神状態だったんですよ、アレク船長。いつあなたに見抜かれるかと、ひやひやしていました」
あまりそうは見えなかったが。
 他の、やかましいほど感情表現が豊かな乗組員たちに比べれば、クリストファの表情はいつも冷静すぎるほど冷静だ。
「やれやれだな……」
 精神的な疲れを感じたアレクは、手近にあった椅子に、どかりと腰を下ろした。
 刺激がない退屈だと、バージル相手に吠えてはいたが、こういう面倒は望んでいない。
 罪滅ぼしのつもりか、クリストファが病人用の良質のワインを、分厚いガラスのゴブレットに入れてくれた。
「……まあ、あれだ。あんたは普段、嘘も冗談も苦手にしてるからな。俺を含めてみんな、あんたがあんな堂々と嘘をつくなんて、想像もしてなかったよ」
「他の乗組員の方たちも、だまされてくれましたかね」
「あれで男かよマジ? とか、別嬪なのにもったいねえ、とかほざいてる阿呆はいるが、実は女じゃないかと疑ってるのはいなさそうだ」
 なにしろ、やわらかい唇だの繊細な瞳だのといった、彼女の少女的な部分にふれていたアレクでさえ、うかうかとだまされたのだから。
「それを聞いて、一応安心しました。――では、どうしますか? アレク船長」
「俺に丸投げするなよ」
 諸悪の根源ともいえる船医に、まるで他人事のような口調で訊かれたアレクは、半眼でクリストファを睨んだ。
「どうもこうも、この船は――」
「女子禁制。それは承知しています」
 荒々しい動作でワインをあおって舌打ちしたアレクの言葉の続きを、クリストファが静かに引きとる。そんなことは承知のうえで、でも船医として漂流者は絶対に保護したいという使命感のために慣れない嘘をついたのだと、すみれ色の真摯な瞳は語っていた。
「売り飛ばしたりはしないでしょうね?」
「奴隷としてか? ――なめんなよ。人間を売り買いするほど、俺は落ちぶれちゃいねえ」
「怒らないでください。確認しただけですから」
「じゃ――どうするか」
「私は、あなたの判断に従いたいと思います」
「……だから丸投げするなと……」
 アレクは金髪をがしがしとかき乱した。
 自分で海から拾った漂流者だ。女子禁制の掟とはいえ、また海に放り捨てるような真似は、さすがにしたくない。

 しかしログレス王国の海賊船は――いや、アレクの知るほとんどの海賊船は、女の乗船を認めていない。例外は、そもそも船長が女だとか、乗組員がすべて女海賊だけで構成されているとかいう、奇特な事情の船くらいである。
船倉で飼われている家畜や、乗組員たちが暇つぶしに愛でているペットなども含めて、オライオン号には完全に男しかいないのだ。

 そこに――いくら子供みたいな外見とはいえ、容貌の整った若い女が入ったら?
 ……想像するだに面倒くさい問題しか起きなさそうで、虫酸が走る。
 アレクはうんざりとした顔で金髪をかきむしった。
(こうなったら――)
 最後の、というか、それしかない案2つを頭に浮かべたとき、ふいに物音がした。
 ベッドが軋む音だ。
 はっとしてアレクとクリストファが同時に振り返ると、身を起こした少女が、茫然とあたりを見回していた。




2009.9.29. up.

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