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第3章 聖なる石と空の十字架




 夕刻。
 身ぐるみ剥がれたアスル=セレステ号が、水平線の近くの点にしか見えなくなったころ。
 [いかり]を下ろしたオライオン号の上では、すべての船員が当直の作業から解き放たれ、「狩り」の成功を祝うパーティーの準備で盛り上がっていた。戦闘では思うぞんぶん暴れられなかった分の活力まで、ここにそそがれているようだ。
「おーいダリウス、なんかつまんない魚が釣れたぜよー」
「ってバージル、タイじゃねーかよ。いつもこういうの釣ってりゃいいのに」
「でも平凡だぜよ」
「平凡でいいじゃねーか。サメだのクジラの子供だのはもう勘弁なんだぜ。俺は人間と戦うのは大好物だけどよ、魚なんかと格闘したかねえっつの」
「クジラは魚じゃないぜよ」
「そういう問題じゃねーし」
 ひとりマイペースに釣り糸を垂らしていると思ったら、めずらしくまともな魚類を釣り上げた副長バージルのおかげで、厨房はもう一品作るのに忙しくなった。
「分配金、どんなもんになるって?」
「フィロにしつこく聞いたら、だいたい1000ポンドって言ってくれたぜ」
「あいつは限界まで低く見積もるやつだから、きっともっと行くよな? な?」
「だな! 最高にクールだぜ!」
「功績第一等はやっぱ、甲板撃ち抜いたフィロか」
「らしーぜ。金の使い道を知らねーやつに限って、一等を持ってきやがるんだ」
 あちこちから言いつけられる雑用に忙しく立ち回る途中で、白雪は、
「副長……『1000ぽんど』って、どのくらいの価値があるんですか?」
 まだしつこく釣り糸を垂らしているバージルに聞いてみた。
 男前が何割も増していた盛装はすでに脱ぎ、いつもの気楽な格好に戻っているバージルは、黒髪をぽりぽりかきつつ考えこむ。
「ん〜。おちびさんは異国人だからなぁ、何にたとえたもんか――そうさな、海軍の水兵って言ったらわかるか?」
「軍の新入りとか、下っ端ですよね?」
「正解! 偉い! おちびさんってば、ちゃんと西方の言葉を勉強してて可愛いぜよ!」
「だ、抱きつくのは後にして、まず教えてください!」
「その軍の新入りの給料が、月に1ポンドちょい」
「え。……ええええ!?」
 白雪は思わず高い声を上げてしまった。
 つまり軍の下っ端では一生働いても得られない金額が、一日で手に入ってしまうのか。
 御庭番衆――影の身の上とはいえ、巫女姫さまを護るために地道に務めてきた白雪には、海賊たちの自由な生き様は真逆で、あまり理解が追いついていなかった。なぜ海賊になんてなるのだろうと、魅力的な人々を見て思うことすらあった。
 けれど今聞いた額には、そんな疑問が消し飛んでしまう説得力がある。
 ――なるほど。そこまでもうかるのなら、海賊になりたがるのも無理はない。
「すごいですね……」
「そうなんだぜよ〜。楽に勝つのも大もうけもいいんだけど、配分すんのは、ほとんど副長の俺とフィロだけでやらなきゃならんからのぅ。パーティーが終わったら、これから数日はきっと釣りする暇もないぜよ〜」
 バージルの反応は若干ズレていたが、それはそれなりに興味深い内容だった。
「配分って、そんなに大変な作業なんですか?」
「戦利品がぜ〜んぶエスパーニャの金貨銀貨だったら分けるのは楽なんだけども、そうはいかんからなぁ。宝石や装飾品もあれば、寄港して売っ払って金にしてからじゃないと分けようもないワインや織物なんかもあるし、平等に分けるには手間暇かかるんだぜよ。平等にせんと、すぐに喧嘩をおっぱじめるからのぅ」
「……なるほど」
「ま、喧嘩するやつは俺の斧槍[ハルバード]の錆になってもらうけどな。あははははのは」
「そこは笑うところなんですか!?」
 ドン引きする白雪に、バージルは「まあまあ」とか言いながら彼女の頭を撫でる。
 何がまあまあなのか意味不明だ。――海賊たちは、陽気そうに見えて、いきなり物騒なことを言ったりしたりするから油断がならない。
 その「油断がならない」筆頭格の船長アレクは、船首甲板のほうで、赤髪の戦士長ダリウスと何事か話しこんでいる。彼らにその気はなさそうだが、まるで金色の狼と紅毛の獅子が鼻面をつき合わせているかのような、問答無用の威圧感があたりに撒き散らされていた。
(? 笑ってるけど……何を話してるんだろう)
「――用事」
 いきなり首根っこをつかまれ、白雪は口から心臓が飛び出そうなほど驚いた。
 まったく気配をさせずに現れた、紅玉石の瞳をした本日の英雄――フィロは、無表情のまま白雪をどこかに引きずっていこうとする。白雪はあわてて「一人で歩けますから離してください!」と訴え、なんとか自分で歩く権利を取り戻した。
 フィロは一瞬だけ無感動なまなざしを白雪に向けると、さっさと先に行こうとする
「あの――用事ってなんですか? フィロさん」
「花火の用意」
「花火? そんなものがあるんですか」
「これから作る」
「作る!?」
 確かに砲術長[ガン・キャプテン]でもあるフィロは火薬にたいへん詳しいらしいが、白雪はずぶの素人だ。武術の鍛錬の延長で、火縄銃を撃ったことくらいはあるが、火薬そのものの調合と言われると緊張とためらいが先に立つ。
 だが、普段から容赦なく白雪をしごいているフィロが、弱音を許してくれるはずもなく。
「失敗厳禁。したら死ぬ」
「……! あ、あの、わたしはそれなら違う仕事に行ったほうが……」
「大間抜け以外は死なない。役立たずと呼ばれたい?」
「…………う」
 戦闘では危険にさらされなかった上にむしろ船医に余計な手間をかけさせたせいで、反論ができなかった。内心戦々恐々としながら、最下層甲板にある弾薬庫を目指すフィロを追って、昇降階段を降りていく。


 ――今回の「楽勝」の代償のように、いずれ激しい戦いが待ち受けていることなど、白雪はおろか、熟練の海賊たちですら予想していなかった。


 熟れた果実のような日が沈むのとほぼ同時に、祝勝パーティーは始まった。
 花火作りのハラハラドキドキを通り越して死にそうな緊張感でぐったりする暇もなく、白雪は給仕役に駆り出された。……まあ、役立たずでいるよりは、忙しいくらいがちょうどいい。
 飲み物は、アスル=セレステ号からいただいた新鮮なワインや、水で薄めていないラム酒、乾燥果物やミルクで味つけした紅茶など。
 食事のほうも大盤振る舞いで、おもしろい形にした焼きたてのパンに、おいしい乾し肉と一緒に炒めたじゃがいも、さまざまな野菜と魚介類を煮込んだ黄金色のスープなどに加え、何段にもスポンジを重ねた豪華なケーキまで奮発されている。
 乾杯のために、全員に飲み物を配る中で、ひとりの青年を見つける。
 灰色髪に、褐色の肌。
「あの――ジェフリー甲板長?」
「! ……おまえか」
 呼びかけると、ジェフは仏頂面を引きつらせた。
 ――『ジェフの野郎は、おまえが嫌いなのとは違うから、安心しろ』
 ――『今は長く寄港してないし、ストレスが溜まる頃だからな』
 ――『ちょっと苛立ってるだけだ。普通に接しろ。普通に男らしく、な。男らしくだぞ?』
 アレクの言っていたことを思い出しながら、白雪はさりげなさを装って盆をさしだす。
「乾杯に必要ですから――どうぞ」
「……わかってる」
 ひったくるようにラム酒のつがれたジョッキを選び、ジェフはそっぽを向く。
 心なしか、褐色の首筋が赤く見えるが――
(もう酔っている……わけはないか。乾杯もまだだし)
(すとれす、と船長は言ってたけど……具合でも悪いのかな)
 ジェフリーは確か、医務室にはそうそう顔を出さない人だ。少しの怪我や病気はこらえてしまいそうな、まじめな性格に見えるし、とついついその場で考えこんでいると、ジェフリーが急に白雪を振り返った。どきりとする。
「……おまえはどうしたんだよ」
「え? わたしですか?」
「乾杯がもう始まるだろ。さっさとなんか選んで持ってろよ、トロいやつだな」
 盆をそばにあった箱の上に置かせて、ジェフリーは空いた白雪の手に陶器のコップを押しつける。中身は乾燥させたリンゴで風味がつけられた紅茶だ。子供は酒はやめておけ、という気持ちを感じる。あまり酒を飲んだことのない白雪にはうれしい気遣いだ。
(ジェフさん――)
 しばし面食らっていたが、驚きが去ると、白雪の胸には温かいものが生まれた。
(やっぱり、いい人だ)
「――野郎ども! 準備はいいか――!?」
 乾杯の音頭をとっているのは、いかにもノリがよさそうな赤髪の戦士長ダリウスだ。
 露天甲板に集まった海賊たちが、おおう! と野太く叫ぶ。
 おっとりとしたバージル副長や、先頭に立って騒ぐよりはクールにそれを戒めるほうが似合うアレク船長は、船首甲板で笑いながらそれを見守っていた。手にはジョッキをかかげて。
「いつもご苦労! 今日は好きなだけ騒ぎやがれ! ――乾杯!!」
「おおう!!」
 甲板が揺れそうな大声とともに、飲み物の器がぶつかる乾いた音が重なる。
「勝利に乾杯!」
「アスル=セレステ号の旅路にも乾杯してやろうぜ!」
「俺たちをもうけさせてくれる、エスパーニャ王国にも乾杯か?」
「そいつぁ冗談でも御免だな!」
 白雪の持っているカップにも、周囲にいた海賊たちが次々にジョッキをぶつけにくる。
 何人とぶつければいいのかと戸惑い、目を泳がせると、ジェフリーと視線がぶつかった。
 祝宴なのにいつにも増して仏頂面の彼は、仕方なさそうに白雪のカップにジョッキをぶつけると、あごをしゃくった。
「飲めよ。もういいだろ」
「――ありがとうございます」
「別に礼を言われることじゃねえよ。――ヘラヘラすんな」
「す、すみません」
 乾杯が終わりきらないうちから、ヨーホー、ヨーホーと歌いだす者がいた。歌う声は次第に人数が増え、大きくなり、あっというまに盛り上がる。思わず聞き惚れていた白雪のすぐ近くで、パァン! という景気のいい音がはじけた。
 びっくりして音の方向に顔を向ければ、夜空に色とりどりの光が舞っている。
 ――花火だ。
 白雪がどきりとして舷側を見やると、暗くなった海に向けて打ち上げ式の花火を発射していたフィロと目が合う。
 ざわめきにまぎれそうな声は「60点」と聞こえた。――白雪が作った花火のことらしい。
(初めてなら、まあまあ……と思っていいのかな?)
(とりあえず、暴発しなくてよかった)
 フィロに言われるまま作ったはいいが、自分が不器用だという自覚はあるので、それだけは不安だったのだ。
 さすがにフィロが作った花火は、白雪の不恰好なそれと違って、きれいな形をした光の花を夜空に刻みつけている。職人技としか思えないそれに見惚れていたところに、エルバート料理長から再び給仕をするように頼まれ、白雪はすぐさま仕事に戻った。

 ――この後に待ち受けている船長の「思いつき」という名の策を、知る由もなく。


2010.07.17. up.

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