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第3章 聖なる石と空の十字架




 アレクの背を追い、ドレスの裾に気をつけながら昇降階段を踏みしめて、白雪は朝の露天甲板に出た。
「おーい、おまえら! 今日は新入りが『通過儀礼』だぜ!」
「そういうわけですので、よろしくお願いします!!」
 手間のかかる着替えのせいで、普段より参上が遅れた分を取り返すように――そして「仕方なく女装させられている少年海賊」に見えるように、白雪は意識して低く作った声で挨拶してみたのだが。
(…………あれ?)
 こちらを振り返った船員たちの表情は妙だった。
 青いドレスの白雪を見て、一様に驚きに目をみはる。そこまでは想定内だが――
(なぜ目をそらされる……?)
 いつもは明るくおしゃべりで、船上生活の単調さを癒すために、なんでも笑いの種にしてしまう海賊たちである。白雪の国の表現でいうなら「箸が転がっても可笑しい」という感じだ。
 新入りの「ド派手な女装」なんて、格好のネタだ。きっと笑いものにされるだろう。いや、女かも……? と疑われるくらいなら、いっそ指さして笑われたほうが数千倍マシだ。どうぞ笑ってくれ、という意気ごみ(?)で、白雪はここに来たのだ。
 なのに。
(それにみんな……さっきのアレク船長みたいな顔をしてるような)
 西方式の敬礼――そろえた指先をこめかみに向けた格好のまま、白雪はうろたえた。
 もっと女らしくしろよ! 女装のくせにつまんねーぞ! くらいの悪ノリした突っ込みを期待していたのに、船員たちは慌てて白雪から視線を引き剥がすと、仲間同士で、妙に気まずそうに視線を交わしている。
(そうだ、フィロさんは)
 救いを求めるように、白雪は、普段厳しく仕事を指導してくれる黒髪の少年を探した。彼なら無表情に突っ込みくらい入れてくれるだろう。
 いた。同い年のヴィンセント――ヴィンスとともに、船首近くに並んでいる。
 しかし切ないことに、その二人もやはり表情が微妙だった。
 一見おなじみの無表情に見えたフィロも、よく見ればあっけにとられた様子で眉をひそめているし、美しい銀髪を風になびかせたヴィンセントも、どういう表情をしたものか迷っている様子だ。――いたたまれず、白雪は今すぐ回れ右して、下層甲板に引っこみたくなった。
 唯一、白雪の予想通りの反応してくれたのは――
「オンナノコ! キレイナオンナノコ!!」
 おしゃべりなオウムのアーサーだ。
 ヴィンスの肩で、アーサーは真っ白な翼をぱたぱたと打ち鳴らしながら、オンナノコオンナノコと連呼してくれている。普段は心臓に悪いばかりのオウムの口真似だが、今日はそのノリがありがたい……かもしれない。
「――おい、おまえら」
 風と波の音がやけに耳につく静かさの中、白雪の隣で、アレクが盛大にため息をついた。
「マヌケ面さらして見惚れてんじゃねえよ。目ぇ覚ませ、男だぞこいつは」
「……え」
 見惚れてる? あきれてるんじゃなくて? と白雪は目をぱちくりさせる。
 船長の魔法の呪文ではっとした様子の船員たちは、照れたように頭をかき、それぞれに口の中で言い訳しだした。
「だってだって船長、たまげますって〜」
「もともと小さな女の子みてぇな顔してんなぁとは思ってたけどさ」
「お、俺は大丈夫だかんな!? 道踏み外しそうなんて思ってねーかんな!」
「国で待ってる12歳の娘を思い出すなあ……あ、駄目だ涙出る。ううッ」
 じゅうにさい。白雪も浮かべる表情に困った。
 似合わないと言われても非常に複雑だが、その路線も何かが切ないと思う。
 なんとも言えない混沌とした空気をはね飛ばす声が飛びこんできたのは、そのときだ。

「――わぁ美しい〜! さすが、おれの見立てに間違いはなかったね!」

 間延びしているのに、妙に早口な。
 と思ったら、背後から誰かの腕が巻きついてきたので、白雪は思わず素の少女の声で「ぎゃあ」と悲鳴を上げそうになった。
 白雪の後ろ――腕の主を見やって、アレクが不機嫌そうに唸る。
「ハロルド。朝からキンキンうるせえぞ」
 苦々しいとか怒っているというより、もはやあきれの色が濃いアレクの科白にも、ハロルドはのほほんとした雰囲気を崩していない。毒気を抜く、へらっとした笑い声が白雪の耳の後ろをくすぐってくる。
「朝は朝でも、もうごはんの時間になるくらいですよー。アレク船長が寝坊なだけで、おれたち夜明けから仕事してましたしー」
「寝坊じゃねえよ。おまえが面倒くせえ衣裳を用意するから、こいつが困っちまって、俺が着替えを手伝わなきゃならなかったんだろうが」
「えー? そんなに面倒だったかなー。――白雪、君、その髪型は? えー、アレク船長にやってもらったのー? 船長も美的センスが足りないなー。もっと大人っぽい、お姫様みたいな髪型にしたげれば、完璧に美しかったのにー」
「俺を目の前にして文句をつけるとは、あいかわらずいい度胸だな、おまえは」
「聞こえないところで言ったら陰口になりますでしょー」
 そこでようやく身体をひねり、白雪はハロルドを――操舵手にして、今回の「通過儀礼」の仕掛け人を見た。
 見た瞬間、目が点になった。
(…………男の、人?)
 語尾に「?」をつけてしまったのは、ハロルドもまた女装していたからだ。
 それはもう堂々とした女装だった。
 藍色の長髪は、後ろでふんわりと、おだんご型にまとめられている。
 クルミ色を基調としたドレスは、白雪のそれのように華美なものではないが、彼の淡い水色の瞳やすらりとした体型にはうまく調和していた。女性にしては背が高いが、逆に言えば「背の高い女性です」といえば通用する。
 抱きつかれている白雪のすぐ近くにあるハロルドの顔は、色白でまつげもくるんとカールしており、綺麗なお姉さんと呼びたくなる感じだ。実際、17歳の白雪より少し年上に見えるし。
(というか、これで海賊……?)
 クリストファの怜悧そうなたたずまいや、ヴィンスの麗姿とは違った意味で、ハロルドもまた海賊らしさが見当たらない。
 茫然としている白雪と目が合うと、ハロルドはにへらっと破顔した。
「やー白雪。ちゃんと自己紹介するのは初めてだっけ? おれはハロルド・シーウェル、操舵手だよー。見ての通り、女装が特技。今日のコンセプトは『お姫様の侍女』。あ、お姫様っていうのはもちろん、君のことねー」
 圧倒されるくらい愛想がいい。
 握手という西の挨拶に未だに慣れていない白雪の手を、両手で握って楽しそうに振り回しながら、ハロルドは一気にそう言った。突っ込みどころが多すぎて、白雪は全部聞かなかったフリをしたい誘惑にかられる。
「特技……なんですか?」
「そー」
「……失礼ですけど、なにゆえにそんな特技を身につけたんですか?」
 女子禁制の海賊船で、女装を特技にするというのは、悪趣味の次元を超えている気がするが。
「おれは美しいものが好きだからー」
「…………」
 あっさりとした返答は、答えになっているようで、全然なっていなかった。白雪は今度こそ脱力した。
 この船の副長も、自称「可愛いもの好き」でネジが飛んでいるのだが。
(また、なんか濃ゆい人が……)
 しかし特技と言い切るだけあって、ハロルドの女装は様になっている。なりすぎている。
 少なくとも、さっきから船が揺れるたびに、裾を脚に引っかけてコケている白雪などより、ずっと着慣れた雰囲気だ。スカート部分をつまんで、楚々とした仕草でお辞儀する姿も、確かに「お姫様の侍女」っぽい。
(――って、もしかして)
 思い出したのは数日前、船内で見かけたドレスを着た人物のことだ。
「あの……勘違いだったら申し訳ないんですけど、少し前にも女装してましたか?」
「してたよー。あのときは確か、コンセプトは『商家の一人娘』だったなー」
(やっぱりそうだったのか!)
 白雪は心の中で叫んだ。
 気にはなったものの、ドレスの裾をチラッと見ただけだったし、それ以来目撃していなかったので「やっぱり気のせいだったのかな……」と、無理やり自分を納得させていたのだが、よもや真相は「女装が特技の海賊がいました」だったなんて。――朧さま、父上。世界はわたしが思っていたより、ずっと広いようです。
 ちらりとうかがうと、他の船員たちはハロルドの「趣味」には慣れっこのようだ。「今日は地味だなハロルド」「あれなら許せる」「姉妹みたいでいいんじゃね」などという会話が平然と交わされている。おいおい。
 文化やノリの違いに頭痛を感じている白雪を間に挟んで、ハロルドはアレクと話している。
「つうかハロルド、おまえ舵はどうなってんだ? 逆帆になったら怒るぞ」
「大丈夫ー。ジェフにちょっとの間、押しつけてきましたー」
「甲板長に何やらせてんだ」
「そんなしかめ面しないでくださいよー。すぐに戻りますからー」
 アレクが言うほどカン高いとは思わないが、ハロルドが男性のわりに低くない声の主なのは確かだ。そのせいで、はしゃいだ明るい雰囲気が強調されやすい。
 あきらめの境地のようなものに達し、すっかり傍観者になっていた白雪は、ぎゅっと手首を掴まれたことで覚醒した。掴んだのは無論、ハロルドだ。
「さ、行くよー」
「え? ど、どこにですか?」
「今日のお仕事だよー。お姫さまは甲板みがきなんてしないで、おれの操舵とかを手伝ってね」
 操舵。ということは、行くのは船尾か。
 アレクと一瞬視線を交わし、うなずきあってから、白雪はハロルドに従った。
 最後にハロルドが、甲板みがきの顔ぶれを振り返って、楽しそうに投げキスをした。
「それじゃねー。みんな疲れたら船尾においでねー。今日はオライオン号の看板娘2人がサービスしちゃうからー」
「え? わたしも『さーびす』というのをするんですか!? 何なんですかそれは」
「大丈夫、無理はさせないからー。たぶんだけどー」
 イヤな予感しかしないハロルドの発言だった。



 ――「通過儀礼」のせいで、今日は一日こういう格好で過ごすはめになりました。
 ということで着替えが終わった後、まずは、アレクの他にもう一人、白雪が実は女だと知っている人に「女装」姿を先に見せておいたのだが。
「可愛すぎはしませんか?」
 医務室のあるじ・クリストファは事情を聞くと、なぜか時間が凍りついたかのような異常に長い沈黙を経て、おもむろにそう言った。それも、思いがけず新種の生き物でも発見してしまったかのような、大まじめな顔で。
(これは……)
 そんなしかつめらしい船医の前で、白雪は硬くなって突っ立っている。
(……一応、褒められてるんだろうか?)
 照れる場面ではないが、暗い顔をする場面でもない気がする。
 反応に困り、隣に立っているアレクを救いを求めるように見上げると、彼もだいぶ微妙な顔をしていた。
「先生、あんたちょっと親馬鹿入ってねえか」
「普通に客観的な判断です。アレク船長、あなたがこういうことが意外に得意のは知っていますが、少々まじめにやりすぎでは」
「俺はこれでも、あんまりお嬢様に見えすぎないようにしたつもりだぜ? 変な気を起こす奴がいても困るし」
「それはわかっているのですが――」
 クリストファの、未知の物質を分析するような視線が、白雪の黒髪を2つに分けたおさげ風の素朴な髪型などに向けられる。アレクに整えてもらったといっても、着方をちゃんとして、髪を結い直し、アクセサリを正しくつけた程度で、化粧などはしていない。
 だが、もともと女なだけに「女装」に違和感が足りないのが、クリストファにはどうしても不安らしい。
「それでもやはり、まだ可愛すぎると思います」
「そ……そうですか?」
 こんなに直球なのに、お礼を言うのも、はにかむのも違う気がしてしまう褒め言葉は、白雪は生まれて初めてである。
 お蔭で口を挟むに挟めず、迷子の子犬のように、論議する船長と船医の顔を交互に見ているしかできなかった。
「バレませんか? 私ははなはだ不安です」
「大丈夫だと思うぜ、俺は。ハロルドだってアレだし」
(アレってなんだろう)
 船長がぼかした理由とその内容は、白雪はほどなくして思い知ることになる。
 一方、眼鏡のブリッジ部分を押さえたクリストファは、難しい顔を崩さないまま考えこみ、やがて言った。
「いっそあまり可愛くなく見えるように、お笑い系の化粧でもしてみますか」
「お、お笑い系……? ってクリス先生、お化粧道具なんて持ってるんですか?」
「脂粉や眉墨など、ひと通りは揃えています。そこの棚に」
「どうしてそんなものを」
「事と場合によっては、死に化粧が必要になることもありますから」
「…………え?」
 それって……と考え、なんとも言えない顔になってしまった。クリストファが十割善意で提案してくれているのはわかるし、人間の血や死体程度では動揺しないよう父に鍛えられてきた白雪だが、さすがに抵抗がある。
「でもクリス先生、今になってわざと変な化粧をしたり、まつげ引っこ抜いたりしたら、逆にハロルドに不審がられるだろう。あいつが『やっぱりおれが着替えさせ直す』とか言い出しても厄介だし、このくらいは仕方ないと思うぞ。後は俺たちでフォローしてこうぜ」
「……仕方ありませんね」
 渋い顔で、クリストファ。
 白雪の両肩にそれぞれ手を置くと、船医はまるで子供に言い含めるみたいに念押しした。
「では白雪。今日は身の安全のためにも、何かあったら、すぐに私かアレク船長のどちらかを大声で呼んでください。できれば露天甲板など、人目の多い場所にいてください。もちろん私と船長もあなたに常に気を配っておくつもりですが、仕事が忙しいと、上手くいかないときもありますから。――いいですね?」



 そういうことになったのだ。
「――美しいものが好きで、操舵手に? どういうところがハロルドさんには美しく見えるんですか?」
「コンパスと舵輪だけでこんなに大きな船を操るのは、芸術だし科学だと思うんだよねー。それに船の操縦って、惰性とかのせいで、乗馬とはワケが違うのがおもしろいよー。海流の無茶苦茶な力に負けないよう、うまく船をさばけたら快感だしー。計算通りに動かせたときの航跡は、我ながら美しいなあって思うよー」
「はあ」
 操船作業の経験がまだ浅い白雪には、残念ながらピンとこないので、はあとしか言えない。
 ――操舵手ハロルドは、たぶんオライオン号で一番おしゃべりだ。
 話し方はのんびりとした雰囲気なのに、舵輪の把手を握りながら、いつ息継ぎをしているのか謎に思うほど止め処なく話しまくる。反応に困る発言が多いので、白雪は「はあ」とか「なるほど……?」とかいう気の抜けた相槌しか打てないことも多く、ますますハロルドが話す時間が長くなる。
 ある意味、悪循環かもしれないが――他愛のないおしゃべりが得意でない白雪でも気まずさを感じずに済む、ハロルドの意外とさっぱりした気性はありがたかった。
 我ながら反応におもしろみが足りないと白雪は思うのだが、ハロルドはまじめに聞いてさえくれれば満足なのか、のんびりと話題をつないでくれる。
「そーいう意味で、この船はいいんだよねー。女子禁制っていうのは不満だけど、クリス先生の監督のお蔭で船は清潔だし、あのムキムキは全然ダメだけど美しい男が多いし。君も女装の素質があってうれしいよー。今度もしよかったら、肩の出たワンピースとか着てみない? 君に似合いそうな略奪品のアクセサリもまだあるしー」
 後半はどう返事をしても微妙そうなので、それとなく違うほうに水を向ける。
「『あのムキムキ』っていうのは……」
「んー? 君にはまだ話してなかったっけー? 甲板長のジェフリー・アッシュ。あれ一応、おれの幼なじみ」
 甲板長なら、まだ話をしたことはないが、挨拶だけならさっきもした。
 ハロルドと同じでまだ20歳にもなっていないそうだが、彼と違って、いかにも海の男らしい身体つきの青年である。「全然ダメ」で一蹴されるほど、美しさの欠乏した容姿ではないと思うが――ただ、ハロルドと幼なじみだと聞かされても、正直、トラとウサギが一緒に育ちましたと聞かされたかのような違和感が強かった。
「んー? でも心配しないでいいよー。おれ、別に両刀とかじゃないからさー。遊ぶなら女の子が一番だし。でも美しいものなら、男でもちゃんと褒めとくっていうだけ」
「はあ」
 別にそこは心配していなかったので、やはり、はあとしか言いようがない。
 最初に抱きついてきた以外は、ハロルドはあまり接触してこない。
 どうやら仕事のときは基本的に集中力の高い人のようで、そこが意外でもあり、白雪には好意的に感じられた。
「――ハロルド! 取り舵15度!」
 どこからか指示が飛んでくる。仕事だ。
「姫様、いきますわよ!」
「……ッ、はい!」
 唐突にわざとらしい女言葉にずっこけそうになりながらも、白雪はハロルドを手伝って、一緒に舵輪をぐるぐると回す。
 今朝は逆風――目指すのは南海なのに、南風が吹きつけてくる状態なので、オライオン号は一杯開きにして風上に切り上がっていく構えだ。素人に毛が生えた程度の白雪でも、動力を完全に風に依存している帆船が、風向きの反対に突き進むのが大変なことくらいはわかる。船速は上がるわけもないが、北に押し流されないよう、オライオン号は懸命に逆風と戦っていた。
「いいよーう」
 やがて舵輪をぴたりと止めると、潮風にスカートをなびかせながらハロルドが呟いた。それまでの浮かれた様子や女装を裏切る、静かで理知的な目で。
「おれの勘では、もう少しかなー」
「何がですか?」
「このあたりの海域で、風向きが変わるの。緯度にしたらたった数度の差でねー」
 ――その言葉通り。
 正午に近い時間帯になると、風向きが180度変わった。幾重にも重なったドレスの裾がひるがえるほどの風が、後方から白雪の背中を叩く。
「ヨーホー!」という歓声に似たかけ声や「順風に帆かけて、さあいくぞ!」とかいう上機嫌な歌が、露天甲板やマストで作業中の船員たちの口をついて出る。大輪の薔薇の花が咲くかのように、帆がいっぱいに風をはらみ、船速がぐんぐん上昇した。
 朝からずっと我慢の逆風が続いていた後だったので、爽快感が胸を突き抜けるようだ。
 頬を上気させて、白雪はハロルドを見上げた。
「すごい――ハロルドさんの予想、当たりましたね!」
「まーね。ま、これで少し楽になるよー」
 対してハロルドは冷静だ。
 このくらい大したことじゃないよ、という気どらない表情は、女装なのにかっこよさを強く感じさせる。ちょっとどきりとした。
(やっぱりこの人も、ちゃんと海賊なんだなあ)
 女装が趣味だけど。
 思わず胸中でオチをつけてしまったとき、露天甲板のほうから誰かがやってきた。
 つややかな黒髪の、どこか妖艶な美しさを持つ少年――フィロだ。ただし、今日も表情には色気も愛想もない。
「新入り。用事」
 ついてこい――と、表情に乏しい紅玉石の瞳が言っている。
 どうすべきか迷ってハロルドを振り返ると、彼はにこりと笑った。
「ここはとりあえず大丈夫だよー。昼ごはんのときに、また逢おうねー」
「了解です!」
 敬礼して、振り返ったときには、フィロはすたすたと先に行っている。
 あいかわらず、そっけないが、今朝初めて逢ったときとは違って、いつも通りの様子なのには安心した。
 さっきから船尾側にやってくる船員たちは、ドレス姿の白雪がいつも通り挨拶しただけで泡を食ってすっ転びそうになったり、舷縁にぶつかったり、果ては動揺しすぎて海に落っこちてしまったりしていた。驚きすぎだ。
「しばらく陸に上がってないからねー」とはハロルド評。
 それにしたって、女装した男ならハロルドで見慣れているだろうに、なぜそこまで……と白雪は内心おおいに疑問だったし、自分がこんな格好で驚かせたせいで操船作業を中断させてしまったことに、申し訳ない気分にもなっていたのだ。
 性別を疑われてはいないようなのは、何よりだが。
「フィロさん、待ってくださ――ッと!」
 駆けだした瞬間、追い風の勢いで船が大きく揺らぎ、慣れないドレスの白雪はつまずく。
 完全にすっ転ぶ寸前に、フィロの背中に激突して止まった。
 海面に落下しなかっただけでも幸運だが、頭突きした相手が相手だけに、ぶつかった体勢のまま白雪は石化した。
 今日は朝起きてから気まずいことだらけだが、これは今日一番気まずい――というか、恐ろしい瞬間かもしれない。
 どんな科白で一刀両断されるのか、戦々恐々として、白雪は顔を上げる。
 冷ややかな紅玉石の瞳が、すぐそこにあった。慌てて叫ぶ。
「……す、すみません!」
 不機嫌そうに眉をひそめ、しばらく白雪を見下ろしてから、フィロは短く言い放った。
「どんくさ」
「……ッ!」
 反論できないのが悔しい。
 だがそれ以上の雑言はなく、フィロは歩みを再開する。赤くなった鼻を押さえつつ、白雪も後を追った。
「ところで、どこへ……?」
「バージル副長が呼んでる」
 呼ばれる心当たりはなかったので、白雪は小首をかしげた。――なんだろう?


2010.02.20. up.

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