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第1章 漂流少女と異国の海賊(09)




「バケツを蹴り飛ばすなよ。片づけが面倒だから」
 廊下に出るなり、金髪の船長はそう注意してきた。
 大きさの合わない帽子の陰で、白雪はぱちくりと瞬きする。
(ばけつ?)
 それは一体何を示す西方語だろう。
 きょろきょろしている彼女を振り返り、アレクが補足した。
「それも知らねえのか? ――廊下の端に、砂の入った入れ物が並んでるだろ。あれだ」
 言われて見れば幅の狭い廊下には、黒褐色の革でできた桶のような物が、一定の間隔ごとに置かれていた。中に入っているのは、彼の言うとおり、乾いた白い砂だ。
(どうして砂を……?)
 アレクを振り返って目で問うと、彼はひょいと肩をすくめて言った。
「船では、火事が起きたら砂をかけるんだ。ポンプでくみあげた水と一緒にな」
 なるほど、と白雪は顎を引く。
 ひとつ賢くなった気がして、ついでに父の言葉を思い出した。

 ――『[まなこ]さえ開いておれば、学ぶべきことはいくらでもある。人生というのは、死ぬまで学びつづけることの繰り返しだ』

 船尾の船長室につくまでの狭い通路で、いろいろな顔とすれ違った。
 さほど巨大な船だとは思えないが、乗組員はけっこう多いような気がする。お仕着せがないのか、服装はてんでばらばらだが、船乗りにありがちな不潔っぽさやだらしなさはあまり感じさせられない。そして、若い乗組員が目につく。
 乗組員たちは、アレクには相応の敬意を払った挨拶をするが、その後を小走りについていく白雪には、無遠慮なまなざしを向けてきた。
 好奇心の目。
 うさんくさいものを見る目。
 船長の手前、質問をはばかっているだけで、誰も彼もが物言いたげな顔をしている。
 白雪は最初はそんな視線に猛烈な居心地の悪さを感じていたが、道のりの後半では、気づかないフリをすることを覚えた。代わりに、船内を観察した。「そういえば、この船はどういう船だったんだろう」と思ったのだ。
(商船……いや、運搬船という可能性もあるかな?)
 もしかする捕鯨船かもしれない。
 などと、つらつらと考えて、後でアレクに質問しようと決める。
 ――海賊船だなんていう考えは、このときの白雪には、頭の片隅にも浮かばなかった。



 船尾楼。
 光さす船長室は、白雪の期待よりだいぶ手狭で、想像よりはるかに雑然としていた。
 壁はあめ色にみがかれた樫材で、変わった形の剣や銃、望遠鏡などが金具を使って飾られている。白雪の目を引いたのは、金色の額をはめて掛けられた絵だ。花の咲く庭園を描いたようだが、まるで3歳の子供が描いたみたいに下手である。
(それとも、これが西方では芸術、なんだろうか。……うーん)
 わからん。
 悩みながら目線を下に落として、今度は眉間をせばめる。

 白と黒に塗った板で寄木細工のごとき文様を描いているのは結構だが、その上に乱雑に散らかった品々はなんだ。
 脱いだシャツを放りこんだ籠は、百歩譲って許すとしても、仕事机からこぼれた文房具や天測用具はいただけない。拾って片づけたらどうなんだ。動物の骨とおぼしき薄茶色いかたまりが転がっているのはなぜなんだろう? 部屋の片隅には「これでぶたれたら死ぬほど痛いだろう」と想像させる、悪趣味な鞭まで見える。

 鞭にはさすがにちょっと引いたが、
(……殿方の一人暮らしという感じだなあ)
 しみじみとうなずきたくなる、いや、そうするしかない光景だった。
 帽子をアレクに返しながら、白雪は半眼でため息をついた。
「これが、あなたの部屋なのですね」
「そうだけど、なんか文句がありそうだな」
「文句ではありません。よくこんな空間で寝起きができるなと感心しただけです」
「文句じゃねえか」
「ところで、あの大砲は何事ですか?」
 鞭よりも異様なのは、左右の壁際に固定されている、鉄色の大砲だった。
 白雪が「置物とは思えないのですが……」と控えめにうかがえば、アレクは当然だと言わんばかりに顎を引く。
「本物だよ。ここは戦闘時には、砲列甲板の一部になる」
「ほうれつ……?」
 また知らない西方語が出てきたが、もっと気になるのは、この船が本格的な海戦を想定しているらしいということだ。商船でも、対海賊用にいくらか武装はするというが……なんだか、イヤな予感がした。
「この船のことなら後でじっくり説明してやるから、先に、おまえの事情を聞かせろ。とりあえずそこに座れ」
「……了解」
 つる草を精緻にかたどった鉄枠のはまる、横に長い窓の下には、箱型の物入れがずらりと並べられていた。上部にざぶとんのような紅い布が貼られ、椅子代わりにもできるようだ。そこに勧められるまま腰を下ろす。
 ド派手な帽子と上着を、寝台に放り投げてきたアレクも、白雪のすぐ近くに座った。
 脚を軽く組む座り方は、不作法だが彼には似合っている。
(長い脚だ)
 廊下でも思ったことだが、いかにも速く走れそうで、小柄な白雪には非常にうらやましい。
 などと、年頃の娘にしてはちょっとズレた視点から西方人の体格に見とれていると、唐突に切り出された。
「いろいろと訊きたいことはあるが――そうだな、まず、歳は?」
「17です」
 アレクがずっこけて窓枠に額からぶつかった。
 思ってもみない派手な反応に、白雪は怪訝そうに眉をひそめた。
「そんなに驚くようなことですか?」
「いや……………………てっきり、13歳くらいかと思ってたからな」
「失礼な!」
 柳眉をつりあげる白雪をよそに、アレクはしげしげと彼女の全身を眺めている。
「……噂には聞いてたが、東方人は西方人よりだいぶ若く見えるってのは本当だったんだな。それで17歳だって? もう余裕で子供が生める歳ってことだよな? 俺と6つしか違わないってのか? ……いや駄目だ、まだ信じられそうにねえわ」
「気安くさわらないでいただきたい」
 無遠慮にあごをつまもうとしてきたアレクの手を、憤慨した白雪は、手加減なしではたき落とした。とげとげしく切り返す。
「それにわたしの歳を言うなら、あなただって、この船の束ね役にしてはずいぶん若すぎるように思えますが?」
 今の言葉が事実ならアレクは23歳だ。
 見た目から、まあ三十路には達していないだろうと踏んではいたが、それでも意外な想いではあった。白雪の知る水軍の船では、船長――「御頭」はみな、三十路も半ばをこえた歴戦の海の男ばかりだったからだ。
 するとアレクは、事もなげにこう言った。

「そうか? 俺の国の海賊船じゃ、めずらしいことでもないぞ」

 …………。
 ……………………。
 ………………………………。
 白雪はとっさに耳を疑い、それからしばらくは頭が真っ白だった。
 ぱいれーつ――と、この男は今言わなかったか?
(海賊……だと?)
 拾われたのが、海賊船だった。
 という事実を初めて知って凍りついた白雪をよそに、アレクは髭のない顎をさすりながら説明を続けている。
「海賊船ってのは伝統的に、乗組員の支持を多く集めたやつが船長になる仕組みだからな。自分で言うのもかゆいが、人望さえあれば、何歳でも船長になれるんだよ。俺が知ってる限りだと、おまえと同じ17歳の少年が船長をやってた海賊船も――」
「――ま、待って! 待ってください!」
 白雪はろれつをもつれさせながら、相手の言葉をさえぎった。
 いきなりどうした? と言わんばかりのアレク――海賊船の船長の、狼のそれのごとくよく光る青い隻眼を見すえて、慎重に訊ねる。
「聞き間違えでなければ、今、あなたたちは海賊だと言われたと思うのですが」
「海賊だが。それがどうした」
「本当に海賊だったんですか!?」
「なに今さらビビってんだ。おまえ、まさか漁船だとでも思ってたのか?」
「いや、てっきり商船かと――いや、そういう問題じゃなくて!」
「どういう問題だよ」
「海賊ということは、わたしは、まさか……どこかの国に、奴隷として売り飛ばされるんですか!?」
 ひきつった表情で白雪が叫べば、アレクは軽く眉をひそめた。

 白雪が水軍の男たちから聞かされた「異国の海賊」の噂は、それはそれは恐ろしいものばかりだった。
 罪もない商船を襲い、歯向かうやつは皆殺し。船の資材と金目のものは根こそぎ奪い、捕虜にした人間はすべて奴隷にする。男は死ぬまで、過酷な船こぎ奴隷として働かされる。女は、白雪も知らない遠い国で、好色なヒヒ親父どもに売り飛ばされる。
 襲われたが最後、人生はおしまいだ、と。

「……ほう? シキシマなんてへんぴな島国にまで、海賊の評判は知れ渡ってんのか。参ったな」
 アレクはたいして参ったふうに見えない顔で含みありげにぼやくが、白雪の言葉を否定はしなかった。そのことが、白雪の焦りを倍加させる。
(やっぱり、わたしをどこかに売り飛ばす気なのか……)
 蒼ざめる。
 そんなことになったら、四生嶋に――朧姫のもとに帰るなんて、夢のまた夢じゃないか。
(どうする)
 海上では逃げ場などないが、「海賊船に捕まった」状態でじっとしていられるはずも、すぐに自分の運命をあきらめられるはずもなく、白雪は身構えながらも立ち上がった。彼女が戦う構えになったのを見て、アレクはにやりと唇をゆがめた。
 が、目は笑っていない。
(どうする――)
 ――次の瞬間、横波をくらったものか、船が大きく揺れた。
 慌てて踏ん張ろうとしたが、船にも異国の布靴にも慣れていない白雪は、結局足をすべらせてしまう。よろめき、今まで腰を下ろしていた物入れに肩から激突するかと思われたそのとき、身体がふわりとすくい上げられた。
 アレクだった。
 白雪と違って安定感のある足どりは、まるで、揺れがくることなど知っていたかのようだ。
「不用意に動くと怪我するぞ、ド素人は」
「……!」
 耳のすぐそばで響いた低い声。白雪はひやりとして息をのむ。
 激突こそまぬかれたものの、白雪の状況は、激突した場合以上に悪化していた。アレクに片腕でしっかりと抱きとめられている。そして彼のもう片方の腕は、白雪の両手を、背後でまとめて拘束していた。
(いけない……捕ま……!)
 ほとんど隙間なく密着させられ、白雪は相手との体格差を痛感する。白雪の小柄な身体は、アレクの腕の中にすっぽりとおさまるどころか、隙間が余りそうなくらいだ。男の胸元にこすりつけられた額から、シャツ一枚で隠されたしなやかな筋肉の感触が伝わってくる。
 くくっ、とアレクが喉を鳴らして笑った。
 ――なめられてる。
 かっとして全身でもがいても、憎らしいことに、アレクの抱擁の腕はビクともしない。
(だめだ、力じゃ勝てない。ならどうする?)
 忍びとして鍛えられた白雪の目は、すぐさま武器を探した。身を守る道具を探した。
 自分が知る限り最強のいくさびとである父の言葉で、焦る心をなだめて――

――『忍びの鉄則は、臨機応変だ。刀や手裏剣といった武器がなくとも、自分の周りにあるものをすべて武器にするよう、智慧を使え』

「――なあ、おまえ」
 と。
 記憶の中の父・冬厳の声をさえぎるかのように、アレクが口を開いた。
 白雪の耳に直接吹きかけるみたいな低い声は、今までの悪ガキめいた彼とは別人のような艶気と凄みを帯びている。それと同時に、白雪を拘束する腕にも力がこもった。
「……ッ!」
 おぼれた人間が空気を求めるかのように上を向けば、至近距離に、がらりと表情を変えた金髪の男の――いや、海賊の顔があった。
 青い瞳が、獲物を見つけた狼のような鋭く容赦のない輝き方をしているのが、悔しいことに怖かった。
「もしかしておまえ、心配してるのは、奴隷として売り飛ばされることだけか?」
「……?」
 意味のわからない問いかけに、一瞬状況も忘れて、白雪はぱちくりと瞬きをした。
「だって……他に何が」
 あるんだ。
 そう言う前に、アレクがまた笑った。白雪の動揺と警戒を楽しんでいる、それはそういう笑みだった。
「17歳でそれは無防備すぎだろ。――その歳のきれいな娘が海賊にさらわれたら、こういう危険のが大きいって知らないか?」
 意味ありげに口の端をゆがめたアレクの、続く動作は、一瞬で流れるように行われた。
 白雪のほそい身体を「やりやすいように」抱えなおして彼女につま先立ちを強要すれば、いきおい、顔と顔との距離が狭まる。蒼白なままの白雪の頬に手をそえて、ぐいっとさらに上を向かせる。ほのかに酒のにおいのする吐息が、白雪のそれとぶつかって。
 抱きすくめられたまま反撃の機会をうかがうしかない少女に覆いかぶさるようにして、その桜色の唇をふさいだ。
「……!?」
 予想だにしていなかったアレクの「攻撃」に、白雪は大きく目をみはった。




2009.10.6. up.

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