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第1章 漂流少女と異国の海賊(05)




「――っと!」
 砂の城が崩れ去るかのように倒れた小さな身体を、アレクは慌てて抱きとめた。
 どうやら呼吸は安定しているようで結構だが、目覚めたとたんに悲痛な瞳をしたり・喚いたり・見ていて気の毒なほど落ちこんだりしたこの漂流者に、アレクは妙にはらはらして、一緒に気疲れしてしまった感じだ。
 漂流者のほそい手首で脈を確かめているクリストファと目が合うと、つい、ぼやきめいた文句がこぼれた。
「ちょっとばかり面倒な拾い物をしちまったみたいだな」
「この前のバージルのサメよりはマシですよ」
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
 周囲の人だかりから「そりゃひどいぜよ。ワザと釣ったんじゃないんだぜ?」というバージルの抗議が聞こえたが、アレクもクリストファも当然無視した。
 と。
「クリスせんせー、しつもーん」
 酔っ払った娼婦みたいに語尾が間延びした声とともに、人垣の向こうから手が振られた。
 舵を手にしているはずの姿を見なくても、特徴的な喋りだけで誰かわかる。
 操舵手のハロルドだ。
「なんですか? ハロルド」
「その漂流者の子って、結局、男と女どっちなのー?」
 仲間たちを代表した質問に、注目が一気にクリストファに集中する。
 そういえば……と思い出したアレクも、傍らにしゃがみこんだ眼鏡の船医を振り返るが。

「男性ですよ」

 ――クリストファがあまりにもあっさり断言したので、アレクは逆に耳を疑った。
 甲板のあちこちでも、乗組員たちの「なんでい、つまんねえな」だの「えーがっかりー」だのいうブーイングが不協和音を奏でているが、無意識のうちに漂流者を女だと仮定していたアレクも衝撃だったし、複雑だった。
(男……だと?)
 腕の中でこんこんと眠る漂流者を見る。
 線の細い横顔。
 女だと言われたほうが納得しやすいのだが……?
 アレクはぎこちない表情で、すまし顔の船医を振り返った。
「って、なんで男って断言できるんだ? クリス先生。脱がしてもいねえのに」
「彼の衣裳ですよ」
「衣裳?」
「この純白の衣は、シキシマでは神に仕える男性にしか着られない神聖なものです。女人が着れば死罪になるといわれています。――聞きだせた話から推測するに、神に仕える立場の『姫さま』をお護りする身分の少年といったところでしょう」
「神に仕える姫さま?」
「夢のなかで授かった託宣を告げる巫女姫が、帝と並ぶ、シキシマの護国の柱だそうですよ。有名な船乗りが記した『東方見聞録』という書物に、そう書いてありました。もっと詳しいことが知りたければ、お教えしますが」
「いや、今はいい。――……そうか。男なのか、これでも……」
 女だったら非常に厄介なことにしかならないから、少女じみた繊細さの美少年だったほうが、船の人間関係を平和にしておきたい船長としてはありがたい。
 ありがたいのだが、個人的には釈然としない気持ちが残るのも本当だった。
 この後その「非常に厄介なこと」に、自分がいろいろと頭を悩ませるはめになるとは想像もしていないアレクは、漂流者からつと視線を外すと、明るくなりはじめた晴天を仰いだ。
 なんだか、そっとしておいてほしい気分だったのだ。

 ――そんなふうに、部下の手前、「別に男だからってガッカリも喜びもしていない」というポーズをとることに腐心していたアレクは、気づかなかった。
 腕はいいが時にイライラするほどおっとり屋で、バージルとは違った意味で物事に動じない船医が、ちょっと不自然な早口で話していたことも。
 眼鏡と前髪の蔭でこっそり目を泳がせながら、この話をさっさと切り上げて、医務室に立ち去りたがっていたことにも――。

「ではアレク船長、漂流者を医務室に運んでください。手当てをしますので」
「船長を顎で使うとは度胸がいいな」
「どうせ暇でしょう? 『あの船』も見つかっていないのですし」
「どうせ見つからない、みたいに言われると腹立つぞ」
 澄ました顔でクリストファに言われれば、アレクは憮然とした声で言い返した。
「おい野郎ども、いつまで見物してんだ、散れ散れ。ロープと樽の回収は忘れんなよ! 甲板の掃除はまかせたからな!」
「――了解!」
 乗組員たちに、よく通る声で指示を飛ばして追っ払ってから、アレクは意識を手放した漂流者を抱えて立ち上がった。
「ところで、こいつの名前はなんだった? よく聞きとれなかったんだが」
「シラユキ、と。私のシキシマ語の知識が確かなら、わが国の言葉では『ホワイト・スノウ』といった意味合いですね」
「雪、ね。――俺たちの船に拾われたのも、何かの縁かな」
 アレクはようやく笑った。苦笑いっぽくはあったが。

 この武装帆船の名は『オライオン』。
 母国であるログレス王国では、冬の空、雪の向こうで堂々と輝く星座の名として知られている。




2009.9.27. up.

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