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第1章 漂流少女と異国の海賊(03)




 何度も何度も咳きこんでから、ようやく白雪は顔を上げられた。
 喉がひりひりと痛み、身体がひどく重い。
 そのままつっぷして眠ってしまいたい衝動を必死にこらえて振り返れば、すぐそばに、背中をさすってくれた手の持ち主がいた。
 白雪は、思わず目をみはった。
(青い瞳……)
 海の色を映したような、どこまでも深く青い瞳が、そこにあった。びっくりしているようにも、戸惑っているようにも見える。海水がからみついた睫毛のせいで、白雪の視界は半分ぼやけていたが、瞳の色で、父ではない男性だということだけはわかった。
(だれ?)
 まずは軽い失望が、次には惑乱と異常なほどの心細さが、白雪の疲れた身体につぎつぎと襲いかかってくる。
 青い瞳。――これは、異国の民だ。知らない人間だ。
(どうして異人が……?)
 状況がさっぱりわからないなりに、条件反射的な怖れが肌をむしばむ。
 白雪は声を上げようとしたのだが、なぜか喉がうまく動いてくれなかった。ついでに四肢も思うように動かない。冷たい海水で芯まで冷えきったのと、濡れて異様に重くなった宮司服のせいだと、少しして把握する。
(まずい)
 これじゃ、まともに戦えない。こんな手では、とても愛刀は振れない。
 巫女姫の護り手として暮らしてきた条件反射でついそう考えてしまうと、今度は不安が、白雪の弱った身体をほんろうした。
 思わず表情を苦しげにゆがめれば、異国の男が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
 びくりとした白雪の首筋や頬に、彼は遠慮がちに手をあてた。
 どうやら危害を加えるつもりはなく、ただ呼吸と脈を確かめたいらしいとわかり、白雪は少しだけ緊張感をやわらげた。
 ややあって、耳慣れない異国の言葉で、男が言った。
「痛むところとか、怪我は――ってその前に、おまえ、俺の言葉は理解できてるか?」
「…………」
 白雪は、声が出せない代わりにうなずいた。
 御庭番衆・頭領の娘として――巫女姫の護り手として、白雪は幼い頃から、普通のおなごなら縁のないような厳しい教育を受けてきている。
 あちこちの方言や、異国の言葉を学ぶのも、その一環だった。しかも幸いなことに、男の発音は変な癖もなくて聞きとりやすい。
 異国の男はほっとした様子でうなずき返し、「いい子だ」というように白雪の頭を撫でた。
 他人に気安くさわられるのが――それも異性に――白雪は本来は苦手なのだが、なぜか拒めなかった。むしろ、大きな手から伝わる温もりと、さりげない気遣いは、白雪の警戒心をやわらげさえする。
 ――どうやら、悪人ではないようだ。
 そう信じることにして、白雪はたどたどしく異国の言葉を紡ぐ。
「……痛いところは、ありません。怪我も」
 どうにか声を出せた。身体の調子が戻ってきたところで、ひと心地つくと、白雪は改めて男を観察した。

 歳のころは、二十歳をいくつか越えたくらいか。
 十七歳の白雪よりも年上なのは間違いないが、笑った顔は、どこか悪ガキじみている。
 左目をおおう漆黒の眼帯とともに、首筋にかかる長さの髪の色が、白雪の目をうった。
(金色だ……)
 異国の商人は何人か知っているが、こんなに見事な金髪の持ち主は初めて見た。
 巫女姫が神事であつかう純金の神宝や、有力貴族から朧姫あてにたびたび寄進されていた金銀螺鈿の宝物などと頭の中で比べてみたが、それらより澄んで深い輝きをしている。まるで太陽の光を、そのまま紡いだかのような……。

 などと、白雪はついつい目を奪われてしまっていたが、途中ではたと我に返った。
「……あの。ここは、どこなのですか?」
「俺の船の、甲板だ」
「わたしは……どうしてここに」
「おまえは漂流してたんだよ。俺が見つけて、拾った」
 白雪は柳眉をひそめた。
 ひょうりゅう。――知らない異国語だった。
「……ひょうりゅう、とは?」
「板切れにのって、海面に浮かんでたんだ。あのままだと、たぶんもうしばらくしたら沈んでたかもな。ラッキーだったぞ、おまえ」
 金髪碧眼の青年は端的に答えてくれたが、白雪の戸惑いは深まるばかりだった。




2009.9.26. up.

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