ぐったりとした漂流者を抱え、アレクは、バージル以下乗組員たちの待つ甲板に上がった。
最近あまり泳ぎも救助作業もしていないせいか、意外と消耗した。
「お疲れさん、船長」
「ああ、お疲れだとも、バージル。――おう、ありがとよ」
濡れた金色の頭を犬のように振っていれば、気のきくバージルが、アレクに大判のタオルをかぶせてくれる。「慌ててのむと鼻からラム酒になるから、気をつけるこった」と忠告つきでさしだされた、冷えた身体を温めるためのラム酒をひと口だけあおる。
それから軽くはねて耳に入った水をたんねんに追い出したあとで、アレクはようやく甲板の騒がしさに気づいた。
「うっわー、これってやっぱし異国の人間だよね? 東方人かなー。肌きれー」
「……東方人と言っても、いろいろな国があるがな」
「この海域だと、
「俺、東方人の顔の区別って苦手なんだよなあ。なんか、みんな似たような顔してねえか? でもこいつは……うん、たまげたな」
甲板に横たえられた漂流者を囲んで、男たちの声は妙に浮ついていた。まるで、海の底から宝箱でも引き揚げたときみたいに。
アレクは弓なりの眉をひそめた。
「なんだなんだ、おまえら。ガキみてえに騒いで。東方人なんて初めてじゃねえだろ」
露骨に馬鹿にした口調で仲間たちをからかいながら、アレクも漂流者の顔をのぞきこみ――
ぽかんと口を開けた。
――これは。
(こいつは驚いた……オリエント美人の真骨頂じゃないか)
どこか神々しい気のする白装束と、濡れた黒髪に包まれていたのは、美しい東方人だった。
肌のきめが驚くほど細かい。
綺麗にカールした睫毛に縁どられた、涼しい目元がひときわ印象深い。
アレクなら片手でつかめてしまいそうなほど小さな顔の中に、繊細に整ったパーツが、バランスよくおさまっていた。白絹のような瞼を固く閉ざしていてもなお、凛としたものを感じさせる容貌の持ち主である。
「こいつ……メロウじゃ、ねえよな?」
「人魚ぉ? そう言いたくなる気持ちはわかるが、おまえなぁ、ここはログレス王国じゃねえんだから、人魚なんているはずないだろ」
乗組員たちのやりとりで、はっとなる。
ガラにもなく見惚れていた自分に気づき、アレクは誰にともなくバツの悪さを覚えた。
何やってんだ、こんな子供に。
3ヶ月も陸に上がっていないせいか?
いや、ここまでのオリエント美人を見るのは初めてだからだな、と胸のうちで訂正する。
(にしても、こいつ……男、女、どっちだ?)
漂流者は、たっぷりとした衣裳のせいで身体のラインがわかりにくい。
(まあ着てるのは男の服っぽいし、顔は美少年でも通るが……女、か……?)
引き寄せられたように傍らにかがみこんで、漂流者の紙のように白い頬に手をあてた瞬間、アレクは気づいた。
――息をしていない!
慌てて漂流者の顎と鼻をつまみ、アレクはその小さな口元を、自分の唇で覆った。
潮の味よりも、唇そのもののやわらかさが、鮮烈な印象としてアレクの胸に刻みこまれる。
4度、口移しで空気を送りこんだ。
5度目で反応があった。
重ねた唇が――ひいては頭部が動いたのに気づいて、アレクは手と顔をいっせいに離す。
「けほッ……ぅあ、けふッ!」
咳きこみながら起き上がった漂流者は、だがすぐに甲板につっぷした。
意識がないときに呑んでしまったのだろう、少量の海水を吐いて、何度も何度も空咳をする。
アレクはその痛々しい背中をさすってやった。手が浮いた背骨の感触にふれる。ずいぶんと痩せた、薄い背だ。何日もろくに食べていないのかもしれない。
(服の布地は上等だし、食事に困る身分ってわけじゃなさそうだが……?)
――何か、わけありか?
退屈していた身体がとっさに燃え上がったせいで助けてしまったが、追われている人間だったりしたら厄介だ。というか正直、面倒くさい。
今は――たとえどんなに退屈であろうとも――『あの船』を探すことが最優先なのだから。
やがて、厳しい表情で考えこむアレクの目線の先で、呼吸を整えた漂流者が顔を上げた。
ゆっくりとこちらを振り返る。
(夜の色)
目が合った瞬間、アレクは、らしくもない詩的な比喩を思い浮かべた。
漂流者の瞳は、夜の濃紫色をしていた。
誰か守ってくれる人を探しているような、切なげで寂しい瞳に、アレクは引きずりこまれるような心地を味わった。