果てのない海の上では、夜が明けようとしていた。
みがいた金貨のような太陽が、東の水平線から頭のてっぺんをのぞかせつつある。
東方の海の、彼方から押し寄せる波頭は、きらきらと輝きながら、帆走するオライオン号の船体にあたっては砕ける。そびえるマストは3本。海鳥の翼を思わせる白い帆を、夜明けの風にはためかせるその武装帆船には、少壮の騎士のごとき風格があった。
「ヨ−・ホー、ヨー・ホー、気ままな海賊暮らし♪」
オライオン号の
つまらなさそうに歌われるのは、西方では3歳の子供でも知っている、海賊の歌だ。
「ヨー・ホー、ヨーホー――」
歌声の主は、冷めた瞳で、船べりにしどけなくもたれている。
若い船乗りだ。
まだ冷たい潮風になびく髪は、明るい光をはなつ金色。
端整な造作だが、左目をいかにも海賊といったふうな漆黒の眼帯で隠しているのと、表情に鋭さがあるせいで、女心を惹きつけるものより、独特の凄みを強く感じさせる。何かを探すようにすがめられた右目は、どこまでも続く大海原と同じ、濃い青色をしていた。
だぼっとした亜麻布のシャツに黒い帆布製のズボンという、西方では定番とされる船乗りのいでたちが、すっきりとした長身によく似合っている。
単純かつ軽快なメロディに、うろ覚えの歌詞をのせて――
「燃やして、灰にして、火をつけてやる――……って、それができてたら、こんなに退屈してねえっつうの。なあバージル」
「はっはっは。気持ちはわかるが、イライラしても『あの船』は見つからないぜよアレク」
思い出したように愚痴りはじめた金髪の青年――アレクに、彼の隣に座って釣竿を垂らしているバージルは、のどかに口元をほころばせた。
釣竿から目は離さないままで、黒髪のバージルはとりなすように言う。
「おまえさんは、釣りには向かんな。そんなに気短じゃあ、針にかかろうとしてた魚でさえ逃げてしまうぜよ」
「別にそんなじじむさい趣味に向いてなくたっていいから、俺は」
「じじむさいとは心外な。そういうことを言ってると、大物が釣れても、やらんぞ?」
大物が釣れることはまずないので、アレクは聞き流した。
このバージル、釣り好きなのはいいが、まずロクなものを釣り上げない。
この前など、彼がうっかり人喰いザメを釣り上げたせいで、甲板が血で血を洗うような修羅場と化した。死者が出なかったことと、解体したら意外とうまいサメのスープができたことが不幸中の幸いである。
「気短って言うけどな、バージル――もう3ヶ月だぞ? 『あの船』を探して、沙漠地方からこの東方海域くんだりまで3ヶ月も無寄港で来たっつうのに、未だになんの手がかりもつかめないんじゃあ、いくら温厚で無欲な俺でもイライラくらいするわ」
「なんだ、欲求不満か? そろそろ船材の在庫も心配っちゃあ心配だし、寄港するかい」
「あー……そういや、釘が危ういんだったか。他の物資はどうなんだ?」
「主計係の報告だと、ビールがそろそろ底をつきかけてるな」
「ビールは別になくてもいいなあ。俺あれ嫌いだし」
「またまた。わがまま言うなあ、我らが船長さんは」
どこが温厚で無欲なんだか?
めったなことでは消えない、目を糸にした笑顔を、黒髪のバージルはさらに深めた。
彼もアレクも、まだ二十代の後半にもなっていない若い船乗りだが、その少年の面影が残る表情からは意外に思われるほど経験は豊富だ。その証拠に、民主主義でリーダーを選ぶ海賊船にあって、2人の地位は高い。
アレクが、このオライオン号の船長。
バージルは彼を補佐するナンバー2――一等航海士である。
バージルは、散切りの黒髪がやや猫っ毛ぎみで、太陽に愛された褐色の肌に映える明るい瞳の色は、オリーブ・グリーン。鋭さや性格のキツさが目につくアレクの表情と違って、人好きのする、誰でも包みこんでしまうような魅力的な笑顔を持っている。
外見も金髪・白皙と黒髪・日に焼けた肌とで対照的だが、性格はさらに方向性が違う。それでも、昔から不思議と気の合う悪友だった。
バージルはわがままな弟をいなす兄の風情で、ひょいと肩をすくめた。
「ビールはいいが、食事は残しなさんなよ? 料理長が怖いぜよ」
「んなこたわかってるって。昔、北国のニシンの缶詰をにおいが無理で残そうとしたら、料理長の野郎、この俺をそのにおいよりもひでえ目に――」
言いかけたときだ。
アレクはオライオン号の斜め前方の海面に、何かが浮かんでいるのを見つけた。
(イルカ……? いや、違う)
船べりから落ちそうなくらい身を乗り出して、それを見定める。
そして瞠目した。
板きれの上に載っているのは、ゆったりとした純白の衣裳に身を包んだ――
――人間だ!
「バージル、漂流者だ! 2時の方角!」
「はあ!? こんなへんぴな場所で漂流なんて、いったいどこの物好きだぜよ」
「んなこと俺が知るか!」
「そうか……この釣竿じゃ、漂流者は釣り上げられないよな、やっぱり」
「あたりまえだろうが!」
いつもながらの、すらっとぼけたバージルの発言に、思わず本気でつっこんでしまう。
アレクは、身につけていた武器や帽子を、つぎつぎに床に放り出した。
「俺が行く。他の連中――特に、クリス先生を叩き起こしとけ」
「了ぉ解、船長」
船を急停止させる指示のためにバージルが甲板に走りだし、一方アレクは、ひらりと船べりの上に降り立った。
一瞬もためらわずに海に飛びこむ。
爆発したように水しぶきが上がり、アレクは夜明けの冷たい海に沈みこんだ。
すぐさま水をかいて海面に浮上し、さっきの人間のそばまで泳いでいくと、華奢な身体を両腕で引き寄せる。
片腕で抱えこめるくらい、小柄で華奢な人間だ。子供だろうか? 東方の人間は、アレクの国の人間より骨が細いと聞くから、これで大人という可能性もあるが。
意識はない。
身体も冷えきっているが、アレクは少年時代から海になじんでいた者のカンで、生きてはいるようだと判断する。
「アレク船長――!」
振り返ると、オライオン号の甲板から、アレクの浮かんでいる場所めがけて、空の樽やロープがつぎつぎに投げこまれていた。